パンタカ再考〜路上の子供たち
周利槃特(しゅりはんどく)。
かつて日本の民間で親しまれたブッダの門人:チューダ・パンタカの音写です。周利槃陀迦、あるいは略して槃特(はんどく)とも表記されます。
〝他人と比べて能力が劣った者でも地道な努力で報われる〟といった教訓の説話として、おそらく今でもお寺の保育園などには仏教絵本『はんどくさん』があるのではないでしょうか。
また、日本仏教の伝統的解釈では〝愚者の代表例〟として慣用的に引き出され、鎌倉時代の聖覚法印はその著『唯信鈔』に「名号はわずかに三字なれば槃特がともがらなりともたもちやすく」と述べ、日蓮聖人は『忘持経事』の中で「槃特尊者は名を忘る」と記しています。
あらかじめ御存知の方もいらっしゃるでしょうが、仏教版のフォレスト・ガンプとも云える『はんどく物語』をざっとおさらいしましょう。
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周利槃特は兄と共にお釈迦様の弟子になった。聡明な兄とは異なり、彼は人一倍もの物覚えが悪かった。お釈迦様が説く教えの片端さえ覚えられず、修行や作法も身に付かなかった。幼い頃から苦楽を共にしてきた兄もついに匙を投げ、精舎を去れ!と迫った。途方に暮れる槃特を見たお釈迦様は一本の箒を与えて、経文がわりに「塵を払え、垢を除け」と唱えるよう教えた。以後、槃特は嬉々として精舎の清掃に励み、或るとき廓然と大悟した。
「仏教とは心の掃除だったんだ!」
──いい話ですね。キーパーソンに兄が登場するのはインド神話の定石ですが、この場合は史実のようです。
一方、日本の俗説では、茗荷(ミョウガ)の由来にも駆り出され、「周利槃特は自分の名前さえ忘れるほど愚かで、いつも名札を背中に荷なっていた。彼の死後、そのお墓から名称不明な草が生えて来たので、人びとはそれを茗荷(名を荷なう)と呼ぶようになった。茗荷を食べると頭が悪くなるといわれるのも、愚かな槃特にちなむ云々」……と、まぁ、何とも散々な言われようですが、古代のインド男性はたいがい上半身裸だったので、名札を付けるならゼッケンのように背負うより首から下げるほうが自然であり、そもそも火葬後に遺灰を川へ流す習慣のインドにお墓はなく(墓所造営はイスラム教の定着後)、しかも茗荷はヒンディー語でजापानी अदरक(ジャーパーニー・アダラク/Japanese ginger)、紀元前5世紀頃のインドには無かったわけです。
そんなチューダ・パンタカですが、インドの文化的背景を踏まえた上で改めて見つめ直すと、現代に繋がる様々な問題が浮かび上がってきます。
《彼の母親は王舎城(現ビハール州ラージギル)の裕福な町民(ヴァイシャ階級)の娘だったが、家に仕える下男(シュードラ階級)と愛し合い駆け落ちした。やがて妊娠した彼女は「実家に帰ってお産したい」と申し出たが、夫は上位階級からの懲罰を恐れて同行を拒んだ。仕方なく一人で実家へ向かう途中、路上で産気づいた彼女は男児を産み、場所にちなんで〝パンタ(पंथ/road)+カ(का/by)〟と名付けた。夫のもとに戻った後、再び妊娠した彼女は前回と同様に単身実家を目指し、また路上で男児を産んだ。そのため、長子はマハー・パンタカ(大路)、次子はチューダ・パンタカ(小路)と呼ばれるようになった。》
この詳伝からは、重要な点が二つ読み取れます。
①異カースト婚
身分と職業、婚姻などヒンドゥー教徒の社会規範を定めた『マヌ法典』は紀元前2世紀頃より編纂が始まったと推定され、仏教より新しいわけですが、視点を変えれば古代インドの支配層にとってブッダの説いた人間平等は風紀紊乱に等しく、綱紀粛正が求められたと見ることもできます。婚姻は基本的に同等階級内に限られ、異カースト婚は〝男高女低〟の場合のみ認められました。もし違反すれば処罰され、コミュニティから追放…。こういった差別は現行のインド憲法で禁じられていますが、今もなお「名誉殺人」の理由 ~槃特兄弟の父が恐れた上位階級の報復 ~ になっています。
②姓(身分)なき子
苗字が所属コミュニティを表すヒンドゥー教の社会では、男高女低の異カースト婚で生まれた子は父方の姓(身分)に属することになりますが、女高男低の場合は、共同体から弾き出されます。その背景にあるのは、土着的な母系社会を支配しようとする侵略者側の父系社会の論理でしょう。槃特兄弟が母方の苗字すら使えず「路上」をもってその名とせざるを得なかった理由がそこにあります。
周利槃特が〝愚者の代表〟にされたのは、ブッダの上足:舎利弗、目犍連、大迦葉ら多くの門人が幼少より教育を受けた高位階級の出身者であり、彼らと違って就学の機会に恵まれなかったため、と考えれば辻褄が合うでしょう。また、兄が「聡明」になったのも、社会のどん底を生き抜き、弟を守るため必要に駆られて知恵を磨いた、と見るのが現実的でしょう。例えば、今日のインドでも、ストリートチルドレンが大人を相手に狡知を働かせる場面はよく見掛けます。
ちなみに、『長老偈経』が伝えるチューラ(パーリ発音)・パンタカの詩偈に、箒は出て来ません。彼がブッダから授かったのは箒でなく〝足拭きの布〟であり、素足で生活するインド庶民には日用品です。通常は使い古したボロ布を用いますが、ブッダはあえて新品を授け、「この清らかな物をひたすらに専念して、気をつけていなさい」と指導したようです。
〔※中村元訳『仏弟子の告白/テーラガーター』岩波文庫124頁参照〕
確かに、汚れて当たり前の足拭きのほうが、箒よりも心の営みと修道の在り方をダイレクトに表現していますね。
それはさておき、清掃という業務はインド社会で〝最下層に定められた汚れ仕事〟と見なされて来ました。掃除に携わる身分はいわゆる「不可触民」と呼ばれ、その抑圧された民衆の中から、アンベードカル博士によって仏教復興が始められたのです。
旧来日本で理解されてきた『はんどく物語』=愚直は美徳・掃除は大事。勿論それも良いことですが、今日的に云うなら、槃特の箒は《人間解放の象徴》と呼べるのではないでしょうか。
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