哀しき魔王/ラーマーヤナ
昨年来、日本でもロングランを続けているインド映画『RRR』。第95回アカデミー歌曲賞を受賞した本作の舞台は、大英帝国植民地時代のインド。物語の縦糸を古代神話『ラーマーヤナ』から採り、同じく神話『マハーバーラタ』を展開の横糸として織り成すエンターテインメントの大傑作です。
今回はその『ラーマーヤナ』と、大乗経典『楞伽経(りょうがきょう)』のダイナミックな関係について記したいと思います。
神話『ラーマーヤナ』の原型はB.C.5世紀頃に成立、その後、A.D.3世紀頃に序巻と末巻が加えられ、全七巻に及ぶ今日の体裁が整えられたと見られています。編纂者は詩人のヴァールミーキとされ、コーサラ国(インド北部/現ウッタル・プラデーシュ州)の王子でヴィシュヌ神の化身ラーマが、恋人のシーター姫を救出するため、ランカー(広義の南インド/スリランカを指すとも)に盤踞する十の頭を持つ魔王:ラーヴァナを倒す英雄譚です。
ストーリーの山場に登場するのは、猿神ハヌマーン。ラーマの忠臣として活躍する猿は孫悟空にも通じる愛嬌あるキャラクターで、今も親しまれています。また、ヒンドゥー教至上主義者にとっては、武勇と愛国の守護神にもなっています。
ところで、このハヌマーンに関し、インド近代化の過程で以下のような説も注目されるようになりました。
〈猿神ハヌマーン、獅子頭神ナラシンハや象頭神ガネーシャといった半獣半神、つまり人間の姿で描かれない神々は、アーリア人の侵略に屈してその傘下に入った先住民族を象徴しているのではないか〉
また〝タミルの偉大な父〟ペリヤール・ラーマサーミ師(1879〜1973)は、この猿神伝説が示すものについて以下のように解説しています。
「彼はごく普通の人間だった。 彼は、自分の頭で考えることをしなかった。彼にとっての栄誉や名声は、すべてが道理を無視した結果として得られるものだった。例えば、夜陰に乗じて火を放ち、ランカーの罪もない人々を傷つけたように」
(『THE RAMAYANA/a true reading (ラーマーヤナを真に読む)』)
……いわゆる武勇と愛国が持つ暗黒面とも言えるでしょう。
仏教経典『楞伽経』。A.D.5世紀頃の成立と見られ、中期大乗経典の一つで、原題は「ランカーアヴァターラ・スートラ」。ランカー(楞伽)に現れたアヴァターラ(化身)が説いた教え、といった意味で、如来蔵思想と唯識思想が説かれています。中国における初期の禅宗では重要視されていました。
経典の舞台は、海に面した摩羅耶の楞伽城。マライ(மலை)はタミル語でMOUNTAINを意味します。史実とはまったく異なりますが、ブッダは七日間に渡る大海龍王への説法を終えたのち、南天竺の岸辺に立って、このように言ったそうです。
「相手が誰であろうと、私は法を説くつもりだ。大魔王ラーヴァナ(羅婆那)とて、その例外ではない」
この法音を、遠く離れた摩羅耶山頂で聞いたラーヴァナは、眷属を引き連れて出迎えに参上。最大の敬意を表した後、歌と踊りを捧げてブッダを讃歎しました。そして、
「我は十頭の羅刹なり」
と自己紹介しています。経典の本文でも彼を〝十頭羅刹楞伽王〟と記しており、謂うなれば異形の者を象徴する存在として、オーソドックスなヒンドゥー社会から「化外の民」とされた人々への総称でしょう。
「十の頭とは、何時でも何処にでも居る、ということだ」(ラーマーヤナ)
クシャトリヤ(武士階級)の英雄神話『ラーマーヤナ』が編纂された背景には、ブラーマン(神官階級)を頂点とする古代の祭祀社会から、実力本位の武家社会へと移行していった時代の変化が覗えます。
また、『ラーマーヤナ』の原型が生まれたB.C.5世紀頃の北インドでは、仏教も台頭し始めており、いみじくもラーマとブッダは同じクシャトリヤとされています。
形骸化した祈りを離れ、「弓と槍」を手にしたラーマと、「智慧と慈悲」を説いたブッダ。仮に、両者を同時代人と見るなら、今日にも通じる何かがあるように私は思います。
ところで、楞伽経の軸ともなった如来蔵は中期大乗経典を特徴付ける思想で、生きとし生けるものはみなブッダを宿している、といった考え方です。決して楽観的な性善説ではありませんが、ともすれば自我を肥大させてしまう恐れもあり、単なる現状追認に陥りかねません。上記のように、ヒンドゥー教との迫り合いから案出された面も強く、古今に批判も少なくないので、まぁそんな考え方もある、という程度にしておくのが良いでしょう。
なお、インドの仏教は時代が下ると共にヒンドゥー社会への体制迎合が進み、独自性を失いかけたところへ、十三世紀の初頭、イスラーム勢力による侵攻を受けて、滅亡しました。
『ラーマーヤナ』の約二百年後に作られた『楞伽経』。
あえて云えば、ラーマ王子に誅殺された十の頭を持つ魔王は、仏教で〝救われた〟のかも知れませんね。