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スムリティ:祈憶〔きおく〕

《上は釈迦涅槃像のレリーフ。左端に髭を蓄えたギリシャ神的な姿も》

 古今東西のあらゆる宗教は記憶から発生したものです。仏典も聖書もクルァーンも、言っていることはおそらくこの一点…、「ブッダを、神を、思い出せ。そして記憶せよ」
祈るとは〝憶えておく〟こと。漢訳仏典に「念」と記された原語:स्मृति(スムリティ)はmemory, retentionを表します。言い換えるなら、ハッと我に返る瞬間、それが祈りのモチベーションでしょう。その意味で、祈りは〝意の理〟でもあると思います。 

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 さて、さすがに最近は聞かれなくなりましたが、一時巷間に流布した「釈迦は葬式をするなと言った」云々の話。葬儀に関する嘘マナーやデマの中で最たるものといえますが、時にはそれに続けて「なのに日本では僧侶が…」などと世界の仏教国すべてを無視したり、挙げ句には「神道の影響か」と妄想を膨らませる向きもありました。いやはや、敗戦前の海外神社でもあるまいしね。
ところで、夏目漱石が学生に対し〝I love you〟を「月が綺麗ですねと訳しなさい、日本人にはそれで通じます」と教えたという伝説もありますが、以下の大般涅槃経が伝える《古代の祭祀社会における新興集団の求道のあり方》を「釈迦は葬式をするなと言った」と読むのは、いわば〝指月の指〟─龍樹『大智度論』。月を見よと指差されて月ではなく指を見てしまう間違い─でしょう。

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 21世紀の今日でなお、インドに駐在あるいは留学、また長期旅行をされた方なら、祭祀社会の現実を肌身で感じておられると思います。日々の暮らしはまず朝のお祈りから始まり、宗教ごとのしきたりや禁忌が日常生活に溶け込み、学校や会社も各宗教の祭礼を尊重します。インド人は信仰の民なのです。いわんや、紀元前五世紀頃のかの地における祭祀と社会機構を現代日本人の価値観に沿うように脚色するのは、異文化に対する敬意に著しく欠けた振る舞いでしょう。
【Wiki:葬式仏教】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%91%AC%E5%BC%8F%E4%BB%8F%E6%95%99

 ちなみに、インドで火葬に携わる人々は、いわゆる〝不可触民〟とされます。《浄穢の忌み》よって賤業視されるからです。圧倒的多数派たるヒンドゥー教において、宗教的な〝穢れ〟は、生き物の死・血・分泌物から発生すると信じられ、それらに関わる職業は社会の最底辺に押し込まれました。パーリ仏典でブッダが「お前たちは如来の遺骨の供養にかかずらうな」と仰有られた背景には、差別を温存助長しかねないような営みにかかずらうな、といった文化的側面もあったと見るのが妥当でしょう。
また、浄穢の忌みに関して云うなら、釈迦十大弟子の一人で「持律第一」と讃えられた優波離(うぱり)尊者は〝体毛など分泌物に触れる〟理髪師の出身といわれ、身分制を否定したブッダから修行者としての矜持を認められました。生まれながらにして差別されてきた人間だからこそ、誰よりも決まり(律)を守ろう、他の模範になろう、と精進したのでしょう。そんな彼のことを「戒律主義者」と批判する日本のお坊さんもいるようですが、自分は差別主義者だ、と表明しておられるようなものです。

 ところで、漢訳仏典で「毘舎遮」と音写される悪鬼पिशाच(ピシャーチャ)は、人間の屍を喰らう魔物とされますが、これは土葬や火葬が普及する前の〝棄葬〟が一般的だった時代に、葬儀所を兼ねた死体放置所の周辺で暮らし、葬式の供物を糧に加えて生活していた被差別階層の人々─様々な理由で生産社会から追われた人間たち─のことではないか、とも云われます。
ことほどさように、ブッダや仏教について考える際、インドの身分制を視野に入れない発想は、上記と同じく異文化に対する敬意に欠けたものと云えるでしょう。(下はピシャーチャ像)

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 2013年7月16日火曜。インド東部はビハール州チャップラ郊外ダルマシャティ村の小学校。給食の時間となり、4~12才の貧しい家庭の児童らは、いつものように小さな掌を合わせ、食前の祈りを済ませた。
インドは貧困対策と就学推進と栄養状態改善のため無料給食を実施しており、貧困層の子供達にとっては〝ご飯が食べられるから学校へ行く〟ことが重要な教育機会となっている。
その日、給食を口にした児童はすぐ異変に気付いたという。実は午前中、調理係から「食用油が変色して異臭が感じられる」との報告を受けた校長は、「私の夫の店から買ってる物なんだから大丈夫!」と怒鳴りつけていた(現場証言)。
 そして惨劇は起きた。給食を食べた89名の児童のうち23人が中毒により死亡。(但し保護者側は27人を主張。この差違にはカースト差別があるものと見られる)。警察の調べで給食から猛毒の有機リン系殺虫剤が検出され、校長夫婦は一時逃亡の末に逮捕された。
ヒンドゥー教社会において学校長などの役職は高位カースト者が勤めるのが通例。ダルマシャティのような僻地農村の住民たちは四姓階級の最下層である場合が多い。児童、そして調理係(父兄)も、底辺階層だった。校長夫婦がカースト差別から生命を軽んじたことも想像に難くない。
 州都パトナから車で片道四時間、小学校の跡地には、真新しい供養塔が建てられていた。インド国旗の色に染められた27柱の『救国顕彰碑』。
無料給食が内包する安全管理の脆弱性を後世のために身を捨てて知らしめた『小さき神々』。せめて英雄化しなければ我が子が報われない、という親の気持ちに、胸をえぐられた。
念のため、ヒンドゥー教の原理原則では子供の死者は供養されないしきたり(人生の義務を果たさなかった云々が理由)である。

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村を去ろうとした時、子供の声がした。
「ハロー♪」
見ると、溜め池で水浴びする村の少年たち。ひとりの子が言った。
「僕の妹も給食で死んじゃった。お母さん、泣いてばかりいるんだもん」

 活きた宗教は人間の心の中にこそ存在し、教条書の文字にはない。(アンベードカル博士)

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