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はじまりの記念日

 1月26日はインドの『共和国記念日 (Republic Day)』です。一般の方々には特に馴染みのない〝他国の祝日〟だと思いますが、じつは古くから日本に定着していた仏教とも大きな関わりがあるのです。

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 1947年8月15日、英国植民地から独立を果たしたインドは、それまでのような支配構造とはまったく異なる国作りに取り組みました。かつてイギリスは、より支配をしやすくするためヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立を煽り、同時に多数派ヒンドゥー教のカースト制を利用して、インド人同士を〝縦 (宗教)〟と〝横 (階級)〟に分断しました。
 近代独立国家としてインドが新生するためには、この切り裂かれた社会をなんとかしなければなりません。そこで、初代首相ジャワハルラール・ネルーは、当時すでに欧米で高い評価を得ていた「不可触民」出身のアンベードカル博士に新憲法起草の〝白羽の矢〟を立てました。Constitution(憲法)にはBodyの意味もあります。すなわち、新たな国の骨格が、分断社会の最底辺で地獄を味わってきた者に委ねられたのです。

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 かくして、独立から二年後の1949年11月26日、制憲委員会は新憲法の草案を可決しました。その後二ヶ月の周知期間を経た1950年の1月26日、正義・自由・平等・友愛を4本柱とする現行インド憲法が発布されたのです。しかし、翌1951年、議会が男女同権の推進を「ヒンドゥー社会の伝統に反する」として妨害したため、アンベードカル博士は辞表を叩きつけて、野に下りました。
そして、憲法の理念=Justice, Liberty, Equality, Fraternityを社会に打ち立てるべく、13世紀初頭に滅びていたインド仏教の復興に取り掛かりました。
つまり『共和国記念日』は、仏教の歴史にとっても重要な記念日なのです。

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「もし私が憲法の悪用に気づいたなら、私が最初にそれを焼き捨てます」

 ところで、中国や日本の浄土系宗派で所依経典とされる『無量寿経』には、理想国家(安楽浄土)の条件として、以下のような誓願が列記されています。「無三悪趣の願」「不更悪趣の願」「悉皆金色の願」「無有好醜の願」「離譏嫌名の願」「女人成仏の願」「衣服随念の願」「諸根具足の願」「生尊貴家の願」等々…。
 今回は、これらを〝経典が生まれたインド社会の現実〟に照らして、改めて解釈しなおしてみたいと思います。──念のため、以下に述べることは日本の浄土宗、浄土真宗、時宗の教義とはまったく異なります。
 ○無三悪趣・不更悪趣。地獄のような人生苦をなくす・再び悲劇を繰り返さない。
 ○悉皆金色・無有好醜。カーストの起源でもある〝肌の色(वर्ण╱ヴァルナ)差別〟や、北方アーリア系による南方ドラヴィダ系への容姿蔑視をなくす。
 ○離譏嫌名(離諸不善とも)。出自を表す苗字による差別をなくす。
 ○女人成仏。性差別の根絶。
 ○衣服随念。裁縫や洗濯への賤業視など職業別階級制(जाती╱ジャーティ)をなくす。
 ○諸根具足。障害者差別をなくす。
 ○生尊貴家。家柄(カースト)の根絶。
無量寿経の成立は、おおむね西暦140年頃と推定されていますが、そこに願われている理想が国の骨格となるには、千八百年以上も掛かったことになります。
 最後に、アンベードカル博士が職を賭して訴えた男女同権、それがインド社会でどれほど困難な闘いであったかを知っていただくため、日本仏教で読誦される無量寿経の第三十五願『女人成仏』(康僧鎧訳)の原文と拙訳を記しておきます。いかに古代のテキストとはいえ、ひたすら男性目線のみで語られた経文には、辟易せざるを得ません。
「設我得佛 十方無量不可思議諸佛世界 其有女人 聞我名字 歡喜信樂 發菩提心 厭惡女身 壽終之後 復爲女像者 不取正覚」
 我(法蔵菩薩)が悟りを得て阿弥陀仏となるとき、全世界の女性たちが我の名(阿弥陀)を聞いて喜び、仏道を志して、自身が女性の肉体であることを嫌悪し、その寿命が尽きて我が国に新生したとき、再び女性のかたちであったなら、我は悟りを開かない。
 
インドの知識人は今でも反語的表現を好む傾向がありますが、仮にそういった文化土壌を背景にしていたとしても、私などは「一体誰が生んでくれたと思ってるのか?」と言いたくもなります。

《現代インド仏教徒の女性たち》

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