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プレーム兄貴と一心太助

 現在、各地で公開中のインド映画『プレーム兄貴、王になる』。大胆なまでにリアリティ要素を削ぎ落とし、ひたすら娯楽性に徹して「古き良きボリウッド」を再現したこの作品は、世に云う〝インドの映画は唐突に歌って踊る〟を敢えて現代エンタメ・シーンのド真ん中にブチ込んで来ました。本編2時間44分は長尺の部類ですが、精緻かつ絢爛豪華な絵の力で観客を飽きさせません。スーラジ・バルジャーティヤ監督と主演サルマーン・カーンの〝本気!〟が画面全体に満ち満ちた「おかわり自由の超豪華ターリー(特盛)」です。

 さて、物語の具体的内容については現在公開中ということもあり、また以前には『プレーム兄貴、お城へ行く』の邦題で上映されているので、ここでは記しません。
高貴な御方と見た目がそっくりな庶民が入れ替わることで起こるドタバタ、という設定は、どこの国にもあるファンタジーの定番でしょう。言うなれば、広義の「シンデレラ・コメディ」と呼べるかも知れませんね。ということで、実は、日本の時代劇映画にもこの『プレーム兄貴』と良く似た物語があったのです。ストーリーの軸はもちろん、登場人物のキャラクター配置まで、まさに〝そっくり〟でした。それは、
『家光と彦佐と一心太助』(1961年、東映。萬屋錦之介、進藤英太郎)
三代将軍徳川家光と、天下の御意見番:大久保彦左衛門、そして腕っぷしと心意気は天下一品の魚屋:一心太助が繰り広げる、リアリティ完全無視のアクション・ファンタジー。
ちなみに前ニ者は歴史上実在の人物ですが、一心太助の名は令和の皆さんには馴染みが薄いのではないでしょうか。長屋に暮らす架空の人物:魚屋の太助。昭和時代には『水戸黄門』『遠山の金さん』『銭形平次』等と並んで、定期的に映画化・TVドラマ化された庶民のヒーローでした。私自身、子供のころ山田太郎氏の『彦左と一心太助』(69年)や杉良太郎氏の『一心太助』(71年)を夢中になって見ていました。曲がったことが大嫌いで、弱きを助け強きを挫く魚屋さんの活躍は、当時の少年たちにとって〝頼れる兄貴〟のようなカッコイイ存在でした。
 とはいえ、一介の町人に過ぎない太助が、毎回クライマックスになると天秤棒と包丁だけを武器にチャンバラを展開するくだりには、子供ながら違和感を抱いたりもしました。例えば、剣の達人が振り下ろす大刀を出刃包丁でカキーン☆と弾く、悪代官が差し向けた忍者の手裏剣を天秤棒でガガガッ☆と受け止める…など、戦闘のプロより強い魚屋さん、だったのですから。
 この〝まるでインド映画の主人公のような〟太助が徳川家光と瓜二つだったことから天下を揺るがす御家騒動に巻き込まれる、というのが『家光と彦左と一心太助』のストーリーです。以下、この作品に沿って記していきますが、すでに『プレーム兄貴、王になる』をご存知の方は、意外なほどの共通点に驚かれるかも知れません。

【あらすじ】
二代将軍秀忠の嫡子:家光の暗殺未遂が発生。家光の弟を擁立し権力奪取を企む一味の謀略であった。徳川家康以来の忠臣大久保彦左衛門は、出入りの魚屋:一心太助が家光にそっくりだったことから、替玉作戦を思いつく。しかし太助は生まれて初めての城中生活にトンチンカンを連発、次々と珍騒動を巻き起こす。一方、家光は、生まれて初めての庶民生活に戸惑いながらも、一心太助に寄せられた篤い人望を知る。その後、太助の仲立ちで家光と弟は和解、これを可とせぬ謀叛人の一味が大挙して来襲。そこへ長屋の住民が助っ人に駈けつけ、敵味方入り乱れての大立ち回り。ついに弟は謀叛人の頭目を成敗、家光は三代将軍となり、一心太助はニカッと笑う…。

 どうです?『プレーム兄貴』と似ている点が多いでしょう。
では、相互の主要キャラクターを並べてみます。
○徳川家光(萬屋錦之介)/ヴィジャイ・シン王子(サルマーン・カーン)
○一心太助(同上)/プレーム・ディルワーレ(同上)
○大久保彦左衛門(進藤英太郎)/ディーワーン・サーハブ(アヌパム・ケール)
○弟:徳川忠長(中村嘉葎雄)/アジャイ・シン(ニール・ニティン・ムケーシュ)
名優アヌパム・ケール演じる〝ディーワーン・サーハブ(दीवान साहब)〟とは固有名詞でなく役職名で、日本の時代劇なら「ご家老様」のような意味。プレームが彼を〝旦那〟と呼んでいるのは「バープー(बापू)=おやっさん」の意訳です。インドにも「天下の御意見番」がいたわけですね。

 ところで、お気づきのように、決定的な違いもあります。それは、ヒロイン:マイティリー王女(ソーナム・カプール)に該当し得る、行動的な女性キャラクターが登場しないことです。おそらくそこには、1961年当時の日本と2015年のインド社会におけるジェンダー意識の違いがあるのでしょう。
さらにまた、階級問題への視点にも時代差があります。徳川家光の人格設定は基本的に善良…なにせ水戸光圀の親戚だけに「いいひと」に描かざる得ない…だったのに対し、ヴィジャイ・シンのほうは、傲慢な権力者がやがて改心する展開になっています。
わざわざ言うまでもないことですが、両作の間には半世紀を越す製作年次の違いがあり、それぞれ国内の政治や経済事情、周辺を取り巻く国際情勢など、何もかも異なります。
また、どちらがどうというわけではありませんが、歴史的に食うか喰われるかを経験してきたインドと、家光の時代から始まって二百年以上も鎖国政策が実施(1639〜1854年)された日本では、淘汰や変革に対する国民の意識がまったく異なっています。

 念のため、仏教経典『観無量寿経』の「王舎城の悲劇」など、インドの御家騒動を伝えた物語が日本の大衆芸能の元ネタになったわけですから、プレーム兄貴と一心太助のどちらが先かといえば、インドが先に決まっています。

 最後になりますが、太助の左上腕には「一心如鏡(いっしん、かがみのごとし)」という入れ墨が彫られていました。意味は、純真な心が世界をあるがままに写す、です。かたや〝兄貴〟の愛称で親しまれるインドの下町役者は、プレーム・ディルワーレ(प्रेम दिलवाले:愛の勇者)という芸名でした。
 これこそが、庶民の求めるヒーロー像なんでしょうね。

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