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『ラーマーヤナ』の読み方

※写真はインド仏教復興運動の先達アンベードカル博士と、南インドの「偉大な父」ペリヤール・ラーマサーミ氏が並んで談笑している貴重な記録画像

 昨年、国内各都市にて開催されたインディアン・ムービー・ウィーク(IMW) @ImwJapan において、日本語字幕付きで上映されたラジニカーント主演『カーラ/黒い砦の闘い』。本作は、今まで一般向けに公開されたインドの娯楽映画の中で、初めて字幕にはっきりと「ジャイ・ビーム!」が表示された、歴史的に記念すべき名作です。
このジャイビーム(जय भीम)という言葉の意味は、今から六十四年前の1956年10月14日、それまでインドでは七百年間も絶えていた仏教を、差別解放・社会改革の原動力として復活させたビームラーオ・アンベードカル博士…独立インド初代法務大臣、現行憲法起草者、いわゆる「不可触民」出身…のファーストネームにちなんだ、自由と平等を讃える仏教徒の合言葉です。
そのアンベードカル博士と〝盟友〟関係にあったのが、南インドの政治活動家ペリヤール・ラーマサーミ氏です。ラーマサーミ氏は、北インドのアーリア人が本来の先住民である南のドラヴィダ人を様々な面で迫害・抑圧していると訴え、「ドラヴィダの自尊」を掲げて、その後の南インド社会に多大な影響を与えました。
アンベードカル博士の出身も、ラーマサーミ氏が生きたドラヴィダ世界も、それぞれが同じくアーリア人の侵略によって大地に組み伏せられ、「ラーヴァナ (魔王)の種族」と呼ばれて、抑え付けられてきた人々だったのです。《タミル語ラップのペリヤール讃歌》
https://youtu.be/mlKjPHLlEGw

 近年、インド映画ブームもあって、一般の日本人でもインドの文化や風習に親しむ機会が増えて来ました。大歌舞伎では『マハーバーラタ戦記』が上演され、また一方では日印合作アニメ『ラーマーヤナ』もリバイバル上映されました。
しかし、このラーマーヤナこそが「アーリア人による征服の神話化である」と訴えたラーマサーミ氏の思想については、まだまだ日本では知られていない状態だと思います。とはいえ『カーラ/黒い砦の闘い』にしても、あのSF娯楽大作『ロボット』にしても、ラーマサーミ氏の思想無くしては誕生し得なかった、と云っても過言ではないでしょう。
そこで、今後も続々と日本に上陸するであろうインドの娯楽映画を〝二倍楽しむ〟ためにも、ラーマサーミ氏の著書『THE RAMAYANA 〜 A True Reading (ラーマーヤナを真に読む)』から抜粋してご紹介したいと思います。〈英文原著からの拙訳〉

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 言うまでもないことだが『ラーマーヤナ』は実話ではない。 ヒンドゥー教の行者や知識人、宗教的権力者の言い分と同じである。そもそも編纂者のヴァールミーキ自身、ラーマ王子は神でもなければ、神の力も持っていない、と述べている。また、あのガンディー翁でさえ、
「私が信仰するラーマはラーマーヤナのラーマではない」
と言っている。しかるに、ヒンドゥー教徒は皆『ラーマーヤナ』を聖典のごとく尊重し、そこに登場する主要な人物を神として崇めている。何故なのか?これは、ブラーマン(波羅門階級)の巧妙な宣伝と、ブラーマンのカーストに生まれなかった人々の「知性と自尊心の不足」によるものではないのか。とにかく、まずは以下の事項を精査すべきある。
1.ラーマは神のような人か、それとも普通の人間よりも上か?
2.ラーマは正直だったか?
3.ラーマは英雄といえるのか?
4.ラーマは理知的か?彼はカースト差別に反対したか?
5.ラーマは夫として妻シーターの貞節を信じたか?
6.シーターは所謂「女性の美徳」の型にされていないか?魔王ラーヴァナは本当に悪なのか?
7.ラーヴァナは具体的な実力を行使してシーターを拉致したのか?
8.ラーヴァナはシーターに性的暴力を振るったか?

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 ところで、アンベードカル博士やラーマサーミ氏と立場を異にしたガンディー翁は、1948年1月30日、テロリストの凶弾に倒れました。その最期の言葉は、
「है राम (嗚呼、ラーマ神よ)」
でした。実行犯のナートゥーラーム・ゴードセーは、ヒンドゥー教至上主義を標榜する民族義勇団(RSS)に所属していました。この団体は、構成員の各人がおのれをラーマ神の忠実な部下である猿神ハヌマーンになぞらえ、神聖なインドを脅かす輩を成敗する、という宗教的使命感を持っています。昨年、日本公開された映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』でも、そのファナティックな様子が描かれていました。

 ペリヤール・ラーマサーミ氏は、このハヌマーンという猿の創作キャラクターが表すものについて、以下のように解説しています。
「彼は普通の人間だった。 彼は、自分の頭で考えることをしなかった。彼にとっての栄誉や名声は、すべてが道理を無視した結果として得られるものだった。例えば、夜陰に乗じて火を放ち罪もない人々を傷つけたように」
 まるで、今日のヘイトクライムを見るようですね。

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