見出し画像

袈裟の思い出

 今回は私が師父佐々井秀嶺から袈裟を授かった時のエピソードをご紹介したいとます。
2004年、インド中央政府少数者委員会の仏教徒代表としてデリーの官舎にお住まいだった佐々井師をまったくのアポ無しで訪ねたのが、初めての出会いでした。
 当時の師は69歳、私は44歳(共に満年齢)でした。ちょうど親子の年齢差です。ちなみに私はその時までの約十二年間インドと日本を往復し、いわゆる『仏教八大聖地』はもちろん、北はカシミールから南はカンニャークマリ、東はオリッサ(現オディシャ)から西はグジャラートまで、まさしく蟻が這うように経巡っていました。
 しかし、インド三角大陸のド真ん中、ナーグプール市と佐々井秀嶺師だけは、あえて避けていたのです。その理由…私流の偏屈ですが…は、同じ仏門の大先輩であり仏教発祥の地インドで徳行が認められた偉人に「私ごときがお目にかかる資格は無い」と本気で思っていたからです。その考えを覆したのは、9.11以降の社会変化でした。宗教紛争で世界が滅びるかも知れない時代に生きていながら、高僧に怖じ気づいて尻込みしている自分が情けなくなりました。こうして、デリーの官舎まで無遠慮に押し掛けたのです。
 初めての面談は、ただただ圧倒されるばかりでした。浮かんだ質問も、口に出す前に激流に飲み込まれ、漢訳仏典の記す「獅子吼 (ライオンが吠えれば百獣がひれ伏す)」とはこういうことか、と実感しました。それでも、浅薄な知識から仏教考古学に関する領解を少し述べさせていただくと、
「ほお、なかなか面白い人ですなあ。次はナーグプールに来なさい。いま生きている仏教徒をその目で見なさい」
 半年後、マハーラーシュトラ州ナーグプールに建つインドーラ寺へと伺いました。

現代インド仏教徒(コロナ前2019年)

 インドーラ寺。
佐々井上人の居室を訪ねる階段を昇りながら、かつてないカルチャーショック(?)を受けました。それまでインド各地を巡ってきた私にとって〝庶民はいつも眉間に皺を寄せて、険のある目つきをしているもの〟でした。ところが、階段を降りてくる仏教徒たちの顔はひとりの例外もなく、嬉々として晴れやかだったのです。一体この上で何が起こっているのか?私は、また尻込みしました。異国の地に在って最下層民衆をこれほどまで〝笑顔に出来る〟元日本人僧侶とは…。師の部屋の手前でまで来て、足が震えました。
「कौन है?आये, आये. (どなた?お入りなさい)」
中から声を掛けられました。ちなみに佐々井師は今でも、武道の達人のように気配を見切ります。世にいう神通力なのかも知れません。
「ついに来たな、わっはっは!」

民衆の太陽

──その翌日のこと。
「おい、確かヒンディー語が喋れたな。ここからちょっと行ったところに新しく建った寺があるんだが、坊さんがいなくて、近所の仏教徒が自分たちでお勤めしてる。行って、お経と法話をやって来なさい」
と、急な御指示。当時の私はほんの触り程度しかパーリ語の勤行が出来なかったので、その旨を申し上げると、
「日本のお経を足して構わん。精一杯、心を込めてこい」
要は〝気合い〟ということでしょうか。
「しかし、その格好(=作務衣に輪袈裟)は、いかんな。外人の坊さんが自分の宗派を布教に来た、と思われてしまう」
あ、でも他に無いんですよ。
「…そうか。じゃあ、これをやるから」
なんと佐々井師は、その瞬間まで身に付けていた袈裟を脱いで、私に授けてくださったのです。かたわらに何領もの袈裟があったのに、です。生まれて初めて、腰が抜けました。
「なんだ?日本の坊さんはキンキラキンの袈裟じゃないと不満なのか」
緊張のあまり震えながら受け取る私に、師は慈眼を注がれました。

今ではツギハギだらけの袈裟と、壮年期の佐々井師

【そして、袈裟の思い出】
 十数年前、インドーラ寺にて。或る男の子が私にとても懐き、毎日のように部屋に来ては、何くれとなく手伝い事をしてくれました。その無邪気な笑顔と敬虔に合掌する姿に、「さすがはお釈迦様の国だな」とすっかり気を許していました。そんなある日、畳んだ袈裟の上に置いてあった安物の腕時計が消え、以来その子は姿を見せなくなりました。
 正直、ショックでした。貧すれば鈍す。頭では分かっていたつもりでも、あの笑顔と現実の間に横たわる闇に、胸が潰れる思いでした。次いで、重い罪悪感に苛まれました。
「自分の不注意でお釈迦様の国の子に盗みを働かせてしまった。僧侶が子供に不偸盗戒を破らせてしまった。それも、師に授かった袈裟の上から!」

インド「不可触民」の暮らし

明くる朝、事の次第を佐々井師に報告、懺悔しました。すると、
「インドに慣れた龍智をまんまと欺くとは、いや、たいしたもんだ。あの子は将来〝天竺一の大泥棒〟になれるぞ。まぁ、とにかく、袈裟と縁を結べたんだ。良かったじゃないか」
そう言って、呵呵と笑いました。

 佐々井秀嶺上人は『弱者=天使』でないことを充分に知り尽くした上で、更にその奥の बुद्ध धातु (ブッダ・ダートゥ╱仏性。ほとけの根っこ)を信じておられるのでしょう。
「袈裟はふるくより解脱服と称す、業障、煩悩障、報障等みな解脱すべきなり」
  〔道元禅師『正法眼蔵』袈裟功徳〕

2022年 師弟の語らい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?