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邪鬼(じゃき)考

 いきなりで恐縮ですが、私は〝あまのじゃく〟です。
いわゆる「つむじ曲がり」「ひねくれ者」ですね。調べてみると、自己肯定感の低さに起因するらしく、理由は様々ですが、要するにマイナス感情で形成された性向のようです。
なるほど確かに、日本でもインドでも高位階級のサロンを嫌悪し、日陰へと追いやられた人々に連帯感を抱くこの性格は、かなり重篤な「こじらせキャラ」だとは思います。
 さて、日本語のアマノジャク。漢字で書けば、天邪鬼
日本仏教では四天王に踏みつけられている悪鬼のことを指しますが、もとは毘沙門天の胴にデザインされた中国の水の妖怪:河伯(かはく)の別称・海若(かいじゃく)が一部訓読みされたもので、それが日本のモノノケ ≒ 零落せる神 ≒ まつろわぬ民と合わさり、四天王足下の鬼の呼び名となったようです。
 ということで、ここからは四天王について。〈東大寺戒壇院の像〉

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 向かって左から広目天、増長天、持国天、多聞天。四方を守護する武神です。
広目天(こうもくてん) は西牛貨洲(さいごけしゅう)、増長天(ぞうじょうてん) は南贍部洲(なんせんぶしゅう)、持国天(じこくてん)は東勝身洲(とうしょうしんしゅう)、多聞天(たもんてん)は毘沙門天(びしゃもんてん)ともいい、 北倶盧洲(ほっくるしゅう)を守護するとされます。
広目天の原語名:विरूपाक्ष(ヴィルーパークシャ)は〝異様な目を持つ者〟を意味し、前身はヒンドゥー教の雷神インドラに仕える神格で、のちにシヴァ神の別名ともなりました。増長天のविरूढक(ヴィルーダカ)は〝発芽し始めた穀物〟の意、持国天のधृतराष्ट्र(ドゥリタラーシュトラ)は〝国を支える者〟で、多聞天・毘沙門のवैश्रवण(ヴァイシュラヴァナ)はヴェーダ時代から信仰されていた富貴神のようです。
四神に共通するのは、農耕文化との繋がりでしょうか。雷雨・穀物・土地・豊作を神格化した、と仮定することも出来るのではないかと思います。
 ヒンドゥー教社会の経済は、カースト制を背景にした「収奪の論理」で構成されていました。四姓階級の底辺に置かれたシュードラ(農奴)が産業の基盤を支え、その上に商工業に従事するヴァイシャ(町民)、更にその上に土地を守護するクシャトリヤ(武士)、それらの頂点に君臨するブラーマン(司祭)が〝神の代理人〟として収益を吸い上げていく仕組みになっていました。
こういった観点から今日的に見るなら、四天王それぞれの眷属とされた魔神たちが〝語るもの〟も、おのずと変わって来るように思います。以下に、代表的な例を挙げましょう。
◯広目天の眷属は、龍神富単那。龍はインドの蛇神ナーガで、土着信仰と先住民の象徴とも云われます。富単那(ふたんな)はブータナの音写で、ヒンディー語ではभूत(ブート)と呼ばれる幽霊の意味。
◯増長天の眷属は、鳩槃荼薜茘多。鳩槃荼(くばんだ)はインド神話の魔神でクンバーンダ。कुम्भ(クンバ)は水瓶の意味であり、その形状から生殖器の隠喩にもされることから、性的衝動を悪魔化したものと考えられます。薜茘多(へいれいた)はप्रेत(プレータ)の音写で、漢訳語は「餓鬼」。とはいえ本来のプレータに善悪は無く、今もヒンドゥー教では死者全般を指して云う言葉です。
◯持国天の眷属は、乾闥婆毘舎遮。乾闥婆はगन्धर्व(ガンダルヴァ)の音写で、香りを食物とすることから漢訳で食香と記されます。インド神話では雷神インドラに仕える半神半獣の楽師で、神々のために音楽を奏でます。毘舎遮はपिशाच(ピシャーチャ)の音写で、人間の屍を喰らう鬼とされますが、これは土葬や火葬が普及する前の〝棄葬〟が一般的だった時代に死体放置所(仏教語:寒林)の周辺で葬儀の供物を糧に暮らしていた人々のことではないか、とも云われます。
◯多聞天の眷属は、夜叉羅刹。夜叉はयक्ष(ヤクシャ)の音写で、インドにおける鬼神の総称であり、असुर(アスラ。阿修羅)と同様に見られています。羅刹はराक्षस(ラークシャサ)の音写で、やはり鬼神を指し、ヒンドゥー神話『ラーマーヤナ』ではランカー島に蟠踞する魔族の呼び名‥‥先住民ドラヴィダ人を象徴‥‥となっています。
 ここで、少しだけ話が逸れます。天界の楽師ガンダルヴァが半神半獣として表現されるのと同じく、心身に複合性を持ったキンナラ(किन्नर。音写:緊那羅。天竜八部衆の一)も天界の楽師とされます。緊那羅のヒンディー発音はキンナルで、これはヒジュラー(हिजड़ा, Shemale)の正しい呼称であり、ヒジュラーたちは、今も婚礼等の祭事で〝囃し手〟として生計を立てています。ヒンドゥー教の社会における身分は、ダリット(दलित/被抑圧階層)に属しています。
いずれ私は稿を改めて、八部衆キンナラから現在のLGBT差別へと通じるこのテーマを書きたいと考えています。
《数年前やっと権利が保障されたヒジュラーの人々》

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 本題に戻ります。
 インド・アーリア文化の魔神、असुर(アスラ。阿修羅)。
中でも最強の阿修羅とされたのは、マヒシャースラ。その名はバッファローを意味するマヒシャ+アスラで構成されています。前半のマヒシャについては、日本でも大ヒットしたインド映画『バーフバリ』に登場する「マヒシュマティ(Rich in Buffaloes)王国」の名でも知られていますね。
マヒシャースラの容貌は、ストレートにバッファローの怪物として描かれることもありますが、多くの場合は〝特徴的な髭を蓄えたギョロ目でずんぐりむっくりの体型〟で表されます。これは先住民族ドラヴィダ人を侮蔑した表現なのです。

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 それでは、マヒシャースラ退治の神話を略述しましょう〔※異伝多種〕
──阿修羅討伐に大軍を以てしても苦戦した神々は、シヴァ神妃ドゥルガーを出陣させます。ドゥルガー女神は獅子を率いて善戦しますが、マヒシャースラは流れる血の雫から次々と分身を出現させ、斬られれば斬られるほど大軍になっていきました〈このくだりは、先住民族の抵抗がいかに激しいものだったかを伝えているようです〉。シヴァ神は愛する妻が押され気味なのを知って助太刀に駆け付けますが、さしもの破壊神も分身の術に翻弄されてしまいます。シヴァが危うくなった時、それを見たドゥルガーは、ついにブチ切れます。
「うちのお父ちゃんに何さらしとんじゃ、このボケェッ!!」
怒り狂った彼女は、暗黒の女神カーリーに変身します。そして、飛び散る血を片っ端からお皿で受け止め、長い舌をベロンと出して、一滴も残さず舐め尽くしました。神さま軍団、大勝利☆
ところが、興奮冷めやらぬカーリーは、マヒシャースラの首を持って踊りまくり、その震動で全世界が破滅しそうになりました。シヴァはみずから身を挺し、衝撃吸収マットになって、混乱をおさめました──とさ。

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邪鬼ならぬ神が踏み付けられてのハッピーエンドでした。なにやら〝夫婦円満の秘訣〟のように見えなくもないですね‥‥。

 ヒンドゥー教の神々:四天王に使役される魔物たち。彼らが今もインド社会に実在する被差別階層の人々を表していることは、決して想像に難くありません。
徐々にヒンドゥー教に取り込まれ、ブッダの息吹を見失っていったインドの仏教は、13世紀初頭、イスラム勢力によって滅ぼされました。
 しかし今、かつては邪鬼として神の足下に踏み付けられていた人たちが、自分自身の意志で人生の大転換に取り組んでいます。それが、仏教改宗なのです。
《お寺の門前に灯明を捧げる現代インド仏教徒の子》

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