私の中のちいさなひとの話

『みんなが幸せになる ホ・オポノポノ』 127ページ


私の話を聞いていた知人が、
「あなたのことの様だ。」と、教えてくれた。
私もその本を持っていたので、そのページを読んだ。

改めて、ちいさい頃のことを思い出した。


私が幼稚園に入る前から家ではペットとしてうさぎを一羽飼っていた。
そのうさぎは私が小学校に上がる前に、死んでしまった。老衰だった。
私はそのうさぎが死んだ瞬間のことを、いまでも鮮明に覚えている。

死んだうさぎは家の裏の畑に埋めた
二本並んで生えている柿の木の間だった
大きめの石を置いてお墓とし
命日は忘れず
毎年命日にはおいしそうな草花を摘んでお墓に供えて手を合わせ
冥福を祈っていた
そんなことをかなりの年数やっていた

中学生になってもやっていたように思うけど
いつの頃からか命日もあやふやになってしまった。



我ながら美しすぎる幼少期


そんな美しく清らかな心のままでは生きていけないらしいと
どこかの時点で意識に刷り込まれた私は


いつの間にか
牛を経済動物と割り切り
安楽殺する仕事までこなす大人となった


などと書いてみたものの、
正確には割り切ることはできていなかった。
致死量の筋弛緩剤を牛の頸静脈に注入し、
ひかりの消えた大きな瞳から涙が落ちるのを見る度に
「あー、私、何やってんだろ。」と、思っていた。


子牛をやらなきゃいけないときは
ひとりでこっそり泣きながら注射していた。


割り切ることができなくて良かったと思う。
でも割り切ってやっている人がいても
それを悪だとも思わない。


そんな話をしたら、知人は
「あなたのなかのちいさいひと、が
いとおしすぎて泣きそうになる。」


と言ってくれた。


私は忘れていた。
そして思い出した。
こんなに美しくて清らかなひとが私のなかに確かにいることを。
そのひとはまだ、いまも、これからもずっと私のなかにいることを。


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