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そして、みんなキメラになっていく

どうも、あさまんがです!いやぁ、我ながら不気味なタイトルです。「みんなのフォトギャラリー」に、この記事のタイトルにぴったりなイラストがあることにもある種の不気味さを感じております。(偶然ですよね?)

突然ですが皆さん、「キメラ」ってご存じですか?日本でいうところの「鵺(ぬえ)」ですかね。簡単に言うと色んなものがくっついてる生き物よ~って感じですかね。カオスの権化です。

今回はヒト特有の「キメラ化現象」についての僕の思考を皆さんに紹介したいと思います。

いつまでも同じ「アナタ」でいられますか

しょっぱなから見出しで飛ばし過ぎました。笑

ただ、これは全人類共通の問いにもなると僕は考えています。例えば、小さい頃に嫌いだった食べ物が食べられるようになったとしたら、あなたはもう「小さい頃の自分」とは違う存在と考えることができますよね。

かくいう僕も、自分自身のアップデートは何度かしていると思います。小さい時は辛い物を食べられなかったのに、今では口内炎が無い限りは辛い物を好んで食べたりします。デニムが好きになったのも割と最近だったりします。

人として、というか生き物として過ごす以上、変化というものは避けることができないと僕は思います。環境に適応することが、自分をキメラにしていくのではないでしょうか。

周りが変わったの?自分が変わっただけ?

割とこれは考える機会が多いです。例えば友人に、

「(良くも悪くも)お前、変わったな」

なんて言われたら、そこから自分との対話が始まります。笑

僕としては変化の自覚がないので、この指摘はなかなか飲み込みづらいんですよ。変わったというのはおそらく事実ではあるんですがね。

でも、「ああ、こいつは昔から変わらないな」と思える友人もいるわけです。この場合、「キメラ」となった彼の中の、自分が知っている部分を見ているからそう思うのではないでしょうか。

そんな彼も、僕の一部分を見ているのかもしれませんね。

キメラは混沌と流動である

多分、大学の課題のレポートを書いた直後なのでこんな見出しをつけています。ここでの混沌とはすなわち、「これまでの経験をすべて取り込んだ、カオスとしての自分」です。自分でも思い出せない記憶でさえも、今のあなたを形作る重要な一部になっています。

そして、流動とは、「カオスとしての自分をコントロールし、場に応じて形を変える自分」です。自宅でのあなた、職場でのあなた、学校でのあなた、友人といる時のあなた、などなど…どれをとっても絶対的な「あなた」でいることは(例外はあるものの)あり得ないと思います。

20年間と少しを生きてきて、僕が行きついたのは上の理論です。でもこんなのあてにはなりません。なぜなら僕もまた、変化を続ける「キメラ」ですからね。

もっと複雑なキメラへ

結構仰々しいことを書き連ねてきましたね。笑

ざっくり言うと、

「人って変化し続けるし、自分が知ってるその人の一面なんてあてにならないよね~」ってことです。

先輩風を吹かすつもりはないのですが、アイデンティティがない(某アーティストさんの曲にもありますね)ことに悩む人たち(特に中高生には多そう)は、あまり悩み過ぎないでいいよって言いたいです。

アイデンティティなんてハッキリ掴めるものではないです。

僕も自分のアイデンティティや存在について悩むことはいまだにありますが、まぁそれを把握したところでどうせキメラなのでせいぜい2,3日で変化しちゃうので良い意味で諦めてます。そんなもんですよ。(虚無主義とはまた別)

もし自己認識と現実との乖離に苦しんでいるのなら、

「あ。キメラのアプデが始まったな。」くらいに構えていていいと思います。

さて、この記事もまた「あなた」というキメラの一部になると思うと、なんだか不思議な感じがしてワクワクします。

そんなキメラの方々が楽しめるような記事を次回以降も書いていきたいです、乞うご期待。次回もお楽しみに!

あとがき

しばらくnoteの更新ができていませんでしたが、課題の山をある程度崩せたので下書きのままになっていたこの記事を仕上げました。

一応、下書きに目を通そうと思い編集の前に読んでみると、下書きを始めたころの自分と、現在こうやってタイピングしている自分の思考の差を感じ取れて、「僕」というキメラの存在を実感できて面白かったです。

さて、だいぶ季節も冬っぽくなってきました。ホットコーヒーをブラックで飲むのにぴったりです。コーヒーでも飲みながら、授業の準備をしに行こうと思います。では、失礼。

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