英語教育を考える(その⑧)
お久しぶりです。あさまんがです。
新学期が始まって全然記事を書けずにいました。ゴールデンウイークに入る頃なので、また少しずつ再開していこうかなと思います!
僕は個別指導の塾講師のアルバイトをしているのですが、最近あることに気付きました。それは…
「中高生よりも、小学生に教える方が難しく感じる」
ということです。
色んな意味で「まっさらな」状態で学びを進めていくので、概念から教える必要があるのです。
今回は概念を教えることの難しさについて、英語教育を絡めて考えていきます。
「なんでこうなの?」の疑問
小学校で算数や国語などの授業をしているとき、こう思った方もいるんじゃないでしょうか。
「なんでこの式になるの?」
「なんでこの文章が主人公の気持ちを表しているの?」
のような感じです。
先生が教えてくれたのはあくまで「何が正解か」であって、「どうして正解か」は分からなかった…なんてこともよくある話です。(もちろん、どうして正解なのか気づきを得るきっかけを作ってくださる先生もいます)
教える側に立って考えてみると、「進行形では動詞を~ing形にする」ことを教えることはできても「なぜ英語の進行形では動詞が~ing形になるのか」という質問に対して言いよどんでしまう、などでしょうか?
そんな彼らの疑問に対して、「それはそういう規則があるからだよ」なんて言うのは、少し野暮な感じがしてしまうのです。
そういった「なぜ」に対する答えをすぐに伝えられないことで、学習者も教育者もどことなくモヤモヤが残った状態で学習を進めていくことになってしまいます。
概念に対して疑問を持つことの難しさ
そもそも、「なぜそうなるか」という疑問は、概念そのものへの疑問であると僕は感じています。
例えば、日本語の主語述語の関係や数学における「x」や「y」といった文字など、普段何も意識せずとも使ってしまえる概念であっても、初学者にとってみれば「なぜ」の連続です。
よく「常識を疑うことは素晴らしい」ということが最近言われています。確かに思考が凝り固まることで新しい知識が受け入れづらくなる可能性はあるので、それ自体は間違っていません。
ただ、常識を(概念を)疑うということは、口で言うよりもはるかに大変な事なのです。大学の教授が研究しているようなことが、分かりやすい言葉への言い換えになっただけということもあるのではないでしょうか。
上に書いた「なぜ進行形では動詞を~ing形にするのか」ということも、トコトン突き詰めると言語学に基づいた考察はもちろん、文化的・歴史的な観点からも検討する余地もあります。
これを初学者が聞いてきたとき、できる限り伝わりやすく、かつ学びのきっかけを与えられるように答えることは簡単ではありません。(教員は生涯学び続けろといわれることもありますが、こういったことが理由かもしれません。)
「質問はありますか?」で挙手なんかしない
少し話は変わりますが、よく授業が終わる直前や、講演会の最後に「質問はありますか?」と投げかけられることがあります。
この発言がされた瞬間、場の空気が「スッ…」と静まり返ります。う~ん。気まずい…
ただ、本当に質問はないのでしょうか?
質問をしない理由は、ある程度パターン化できると考えています。
①基本的な事は全て理解できたので、質問がいらないパターン
②質問はあるけど、授業が早く終わって欲しいパターン
③そもそも理解もしていないので、何を質問したらいいか分からない(もしくは授業中ずっと寝てた)パターン
①は、学習を進めていくうちに新しく疑問が浮かぶかもしれません。
ここで②と③が言及される対象なのは、ある程度みなさんも予想できるかと思います。③は、もう一度説明を与えることが優先です。
一番難しいのは、②です。この「質問をしないことの蓄積」が、概念に対する疑問を増やすように思います。質問をせずにいた単元や事項に対して、元の疑問に関連した新たな疑問が生じます。
こうなると、③のパターンに移行していく学習者も増えていきます。理解をできずに、「自分はこの科目が苦手なんだ、ダメなんだ」と考えるようになってしまうのは、悲しいですよね。
全体で質問をできないのであれば、教育者はTwitterなどでよく見る「匿名質問箱」のようなシステムを導入するのも面白いんじゃないかな、とも思います。そもそも質問と疑問が別物である、と考える事もできそうですね。
まとめ
今回も歯切れのよいうちに記事を終わらせておきたいと思います。笑
この記事の内容をざっくりとまとめていきます。
①学びの過程で生まれる「なぜ」を残したままにしたくない
②概念に対して疑問を持つのは思いのほか難しい
③質問をしないことが、疑問の放置になりかねない
正直、書きながら歯がゆさを覚えました。具体的にどんなことをすればよいのかという解決策を見出せなかったからです。
とはいえ一方で、大学生がすぐに教育問題に対して最適解を出せることは基本的に有り得ないと思います。まだまだ理論しか学んでいませんし。
体調が優れずしばらくnoteを執筆できていなかったというのも理由かと思います。やはり書くことには「慣れ」が必要だなと改めて感じました…笑
さて、この「英語教育を考える」シリーズですが、第10回を最後に一区切りつけておこうと考えています。思ったことを書きなぐる形でのスタートでしたが、内省につながるテーマも取り扱えたので個人的にかなり気に入ってます!
あと2回を残していますから、よければお付き合いください!それでは、次回もお楽しみに~!
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