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2021.12.22 自分だけが面白い


 今日はほんとうは図書館のビブリオバトルというのを見てこようと思っていたのだけど、キャンセルしてしまった。なんだかちょっと疲れを感じていて、ビブリオバトルを見に行くために子どもを預ける予定だったので、その時間はゆっくりすることにする。
 毎日note書いて、Xも毎日つぶやこう、と意気込んでいたのだけど、昨日はつぶやかなかった。 
 noteも、書こうか、やめようかと考えて、こうして書いている。
 こういうちょっとした疲れの原因はなかなかわからない。精神的なものなのか、肉体的なものなのか、両方なのか。
 お酒を毎日飲んでいるからかもしれない。お酒は若い頃から好きで、妊娠して、子どもが生まれてからしばらく飲んでいなくて、数年前にまた飲み始めて、またしばらくやめて、今は毎日飲んでいる。前はワインを飲んでいて、今は日本酒を飲んでいる。ちょっとずつ飲んで、途中お茶も飲んで、そうすると次の日もすっきりしているので大丈夫かと思っていたけど、毎日の飲酒が体に影響している可能性も考えられる。

 ブルトンの「溶ける魚」読み終わった。次はツァラの『ムッシュー・アンチピリンの宣言』を読み始めている。ダダです。なんか、若い人たちが集まって、芸術について語り合うって、いいですよね。ツァラとブルトンは対立したみたいだけど。
 小説を直していて、勢いよく書いたので、誤字脱字や表記揺れがすごい。これは直すのに時間がかかるという感じ。読みながら、面白いと思う。自分の小説はいつも面白いと思いながら書いているけど、わたしだけが面白いのかも。わたしだけが面白いって、けっこう面白いことだ。
 わたしが、なにか例えば小説とかを読んで面白い、と思うとき、その小説を書いた人はきっと自分で面白いと思って世に出していて(自分では面白いとは思っていないけど、売れるから出版した、という人も、もしかしたらいるのかな、いるのかも)、それを読んでいるわけだから、最低でもわたし以外にもうひとり、面白いと思っている人がいるということだ。だけど、自分が書いた小説を、誰にも見せないで自分だけが面白いと思っているとき、わたしの小説が面白いと思っているのは、世界にわたしひとりしかいない。世界の誰も笑ってないのに、ひとりだけで笑っている。
 自分だけが面白いっていうのもけっこう面白いけど、その面白いをひとりとかふたりだけ面白がれる人が他にいる、というのも、けっこう面白い。他の人たちがぽかんとしている中で、2、3人だけがげらげら笑っている。
 息子が、YouTubeを見ていて、「はたらくくるま」を替え歌にして、車の部分をトーマスに登場する機関車たちに替えてある歌を、どこかのおじさんが元気良く歌っている動画があって、いろんなーくるまがーあるんだなー、というやつ、あれが、いろんなーきかんしゃーあるんだなー、になって、いつも元気で速いぞトーマス(トーマス!)みたいな感じなんだけど、その中で、ソドー鉄道の局長トップハムハット卿(トップハムハット卿!)というところにくると、息子はげらげら笑う。ほんとうに、今まで見たことがないくらい笑う。おそらく、トップハムハット卿のところだけ、字数が多いので、歌っているおじさんが早口で歌うのが面白いのだと思う。トップハムハット卿って、なんか、いいよね、とわたしはそんなにその動画ではげらげら笑わないけど、少しだけ息子が笑う気持ちがわかる気がする。

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