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記憶と想像

 今住んでいる家には夏に引っ越してきた。
 がらんとしたリビングのフローリングの床にべったり座って、紺色のワンピースを着たわたしがまだ幼稚園に入る前の娘と、テレビの前にいる。
 テレビでは、録画していたズートピアが流れている。録画に失敗して、前半か後半のどちらかが切れている。
 娘は、ズートピアのストーリーの面白さはまだおそらく理解できなくて、絵の可愛さとか移り変わりや動きを楽しみ、その楽しみは継続しなくて早めに飽きてしまう。
 わたしはその頃、妊娠していて、もうすぐ息子が産まれる。だとしたら、夏ではない。わたしは実家に帰省して出産したのだから、春頃のはずなのに、臨月の大きいお腹を抱えた自分が、新しい家のフローリングの床に座り、隣に娘がいて、一緒にズートピアを観ている夏、というこの記憶はどこから来ているのだろう。
 若い頃のわたしは、妊娠したら、体や心がどうなるのだろうと、心配や怖さや興味があり、想像するしかなかった。今のわたしは、妊娠していた体と心の記憶があるけど、記憶と想像は似ていて、今のわたしにはもう遠くなっている。

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