精神の生態学へ 3
P38まで
科学の研究には、起点が2つある。
帰納法と演繹法。
帰納法→データを集め、そこから基底的な原理を導き出す
演繹法→基底的な原理を想定して、それを証明するためにデータを集める
ベイトソン先生は、行動科学において、帰納法による研究には否定的だ。
それは研究促進的な研究。
つまり、研究のための研究であり、世の中へ還元できないと考える。
例えば、神話。
神は言いたもうた。光あれ。光を良しとされた。光と闇を分け、闇を夜と名づけた。
良しとする分類。
それは、物質を測定する【実体】ではなく、感覚により選り分ける【形式】
神話による秩序の生成には、知覚機能をそなえた存在が登場する。
データによる観測では、神話は生まれない。
精神プロセス、観念、コミュニケーション、組織化などの研究でも、感覚による選り分けが起点となるとベイトソン先生は考える。
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日常を過ごすとき、なんとなく、生きていて、その集積で真理に至るか? というとそれはあまり無いのかもしれない。
何かのテーマを軸にして求める。
世の中を見る視点を変えると、集まるものも変わる。
帰納法で生きるより、演繹法で生きるほうが実りあるのかなと思う。
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