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おじいちゃん・おばあちゃんの「おじいちゃん・おばあちゃん」化

敬老の日です。

両親とも関東の人なのでどちらの実家も直接行ける距離なんだけど、今年はコロナ禍でもあるし、ちょうど引越しの準備でバタバタしてしまっていたこともあり。
今日の午前中に届くようにネットから贈り物を調達し、ちょっと電話して声を聞いてみたりして、今年も無事にこの日を祝うことができました。


自分が産まれてすぐの記憶も無い頃に父方の祖父が亡くなって以降、父方の祖母と母方の祖父母は健在で、多少の病気はあれど、酷く呆けたり施設に入ったりすることはなく元気に過ごしてくれています。
(見出し画像も"3人"でちょうど良かったから入れてみたけど、誰ひとり車椅子には頼ることなく立って歩いてる)

特に母方の祖母に関しては新しいものにも敏感で、パソコンには割と早いうちから触れていたし(最初のパソコン買うときは電器屋に付き合って買いに行った気がする)最近もスマホでLINEを始めたし、とにかく、そういうレベルの元気さで。


そんなわけで、正直「労わるまでもなく元気でしょーが。笑」みたいな気持ちが心のどこかにあって、かなり最近になるまで祖父母を「老人」と意識したことが無かったのです。ここ2~3年まで。


ところが自分も30代になって、つまり同じペースで祖父母も歳を重ねるわけで、「多少の病気」のペースと重さがさすがにハイペースかつ重くなって来て。

これまで長いこと「労わる」というフレーズの対象として今ひとつピンと来なかった祖父母が、ここ2~3年でフとした時に「あ、おじいちゃん(おばあちゃん)だ」と意識せざるを得ないようになってきました。


そういう意識の変化なのか、子どもの頃って「何を話していいかわかんないよ!」何となく気が進まなかった「敬老の日に電話して声を聞く」というイベントも、最近はむしろ積極的になってきて。

電話を切られそうになると(特に父方の祖母は耳が遠くなって来ているので、多分ちょっと電話苦手なんだと思う)いやいやむしろもうちょっと話そうぜ、な感じでおじいちゃん・おばあちゃんと会話を楽しんでいます。


さっき「ここ2~3年」って書いたけど、3~4年・4~5年と、心配をよそに引き続き元気でやってくれたら良いな。

父方の祖母には「ここまで来たら曾孫の顔も見るか…!」とまで言われたし、なんというかこう、ちょっと頑張ろうかと思うこの頃です。

(ん、もしかしたら「とりあえず直近は無理そうだから日本最高齢を目指す」的な意味合いだったのかなあれ…)

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