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私見・無季俳句

無季俳句は不思議です。
有季俳句と同じ17音ながら、その詩の世界は季語に拠らないというだけで醸し出す世界観も構造もなんとなく違う。
かといって、明確に「違う」「季語がないから俳句ではない」とも言い切れない。
詩の、言葉の血縁から見れば、いとこのような関係?

出会うと、気持ちがざわざわ・キラキラする。
よく知っている人の知らない表情を見たような、軽いドキドキを感じる。

なんで惹かれるのか、無視できないのか。
つらつら考えてみました。

篠原鳳作の二つの俳句

私にとって、無季の代表的な作品と言うと、こちらになります。
しんしんと肺碧きまで海のたび 篠原鳳作

読む者の胸もしんしんと静かになる。自分の奥へ潜っていく内省の世界。

篠原は有季俳句でも創作をしていますが、たとえば下記の作品。
蟻よバラを登りつめても陽が遠い 鳳作

これなんか、有季俳句なのになんだか無季っぽい感じがします。

青春の終わりの痛み、絶望感。
「バラ」「陽」の映像と色の強烈さ。
「登りつめ」「遠い」の性急な渇きと彷徨の精神。

以上の言葉のイメージが17音の構成の中で乱反射している。
そして掲句には「蟻」「バラ」という二つの夏の季語が入っていますが、「蟻よ」と呼びかけつつもあくまで作者の主張に主眼を置いた詠み方のため、蟻の映像が読者には見えていてもそれは生物としての存在感のイメージが強く、季語の蟻の世界観の範疇で捉えることは難しい。
また、「薔薇」という夏の季語を「バラ」とカタカナ表記をすることで季語の力がますます薄まっている。

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他にも、無季俳句として惹かれる作品に以下があります。

草木より病気きれいにみえいたり 阿部完市
天と地の間にうすうすと口を開く 中村苑子
風とゆく白犬寡婦をはなれざり 西東三鬼
まばたくと手の影が野を触れまはる 鴇田智哉
ペンギンの母より生れ焼けて骨 宮本佳世乃

自分が「無季俳句」を作るとき

私も、たまに無季俳句を作ることがあります。
作る時のパターンは二つあります。

1)意識的に「季語を入れないでつくる」。
これは初めから「単独の俳句」として作るというのではなく、「連句」に参加しているときに派生的に陥るモードで生まれやすくなります。
連句では「季語の無い句=雑の句」を作るパートがあって、その順番が回ってくると意識的に季語を外して五七五または七七を構成する必要があります。その状態で幾つも作り続けていると、順番が終わってもしばらくその「季語無し」モードから抜け出せないのです。

また、普段「有季」で作るという「俳句の決まり事」にどっぷり浸かっているので、そこから一時的に外れることができる、という解放感が有季俳句を作る際には思いつかない言葉や発想を17音にもたらしてくれることがあります。
その流れにしばし身をおいて無季の作品を複数作り、それから有季の創作に戻ると、これまでとは違うテイストの俳句作品が生まれることがあります。

2)17音に言いたいことが入って、気がついたら「季語がない」
これは「作る」というよりは「できる」にほぼ等しいです。
いわば「無意識」での創作。
でも、そういう状況でできた作品は「後からあえて季語を足す必要がない」と思うことが多いです。

どうも、こういう作品は「言わずにはいられない」という欲求が募ると生まれやすいようです。
果たしてこうやって生まれた作品が俳句なのか、どうなのか?
私の中でも答えはでていません。
ただ、俳句かどうかはともかく「できたものには意味があるんだろうな」「今、この時期にこれを作ることを無意識で自分が望んでいるんだろうな」と思います。そしてそのことが、いつか有季の世界に何らかのものをもたらしてくれればよいなと願っています。

どれだけ言葉にコミットできるか

無季の作品を読んでいると、なかには「全体に季感がある」と思う作品があります(自分の無季俳句についても第三者にそう言われたことがあります)。

一方、上述の篠原鳳作の「蟻よ」のように、季語が二つも入っていても、あまり季感を感じない俳句も存在します。

この二つは、同じ事象の裏表ではないかと考えられます。
すなわち、「作者がどれだけ言葉にコミットできているか」
季語が入っていても他の言葉と同等の重さ、あるいは濃度で使っていれば、季語が内包する季感(あるいは本意)は自然と薄まるでしょう。
また、季語を使っていずとも言葉どうしの組み合わせ方やセレクトにより季感が生まれることがある。その結果、季語がなくても「俳句」として読者の心に映り、奥深く迫る作品が現れる。

どうやら無季俳句を考えることで作り手自身の「季語」と「有季俳句」に対する姿勢や考え方がおのずと見えてくるような気がします。

個人的に、樋口由紀子さんの川柳作品の世界に有季と無季の「あわい」を感じるこの頃です。
そこに、またさまざまなヒントが潜んでいるような気がしています。


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