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連句誌『みしみし』11号の参加、そして連句の魅力

2023年春、連句誌『みしみし』(不定期刊行)の最新号(11号)が刊行されました。
編集人は「豆の木」でご一緒の俳人・三島ゆかりさん。
俳人・連句作家・歌人・柳人などなどがゆかりさんの声掛けにより集合、インターネット上で三十六歌仙を巻いていきます。

私は一年前に「手鏡の巻(旧題・根分の巻)」に参加した縁で本号に俳句作品を掲載いただきました。
そこで今回、『みしみし』11号と連句の魅力について書いてみたいと思います。
(長文ですがお付き合い願えれば幸いです😊)

『みしみし』とは「短詩型総合誌」

みしみし11号には3つの連句が掲載されています。
作品も面白いのですが、その後に掲載されているゆかりさんの講釈がまた面白い。
隣り合う句同士がどのように響き合い、次第に大きな詩となってどのように世界を形作っていくか。その魅力がゆかりさんの文章により明解に綴られており、「そういう意味合いがあったのか!」と目を開かれることもしばしば。

さらに、参加者全員の10作品が掲載。
連句を読んだ後に、それぞれのフィールドによる作品(俳句や短歌、川柳や現代詩)に触れるとまた異なる魅力と味わいがあり、一冊をさらに楽しむことができます。

そして、ゆかりさんによる句集鑑賞も充実。
今回は太田うさぎさんの「また明日」。
私も大好きな句集で楽しく拝読しました😊
(ゆかりさん、私の「柔き棘」もよかったらいつか書いて載せてくださーい(笑)

「短詩型の総合誌」
一言で言うと、『みしみし』の魅力はそこではないでしょうか。
こういうタイプの同人誌はこれまであまりなかった気がする。
さまざまな作家と出会ったり、作品を一度に読める機会も提供している。
一冊で何度も美味しい、そんな素敵な同人誌なのです😊

でも「連句ってなんだろう?」という方も多いと思います。
連句の「発句(第一句目)」を正岡子規が「俳句」と命名、
独立した文芸にしたことからも、俳句とは浅からぬ縁のある文芸。

以下に、私が考える連句の魅力を書きたいと思います。

「連句」とは?

私の拙い経験によるざっくりした印象だと、
「連衆(集まった人々)が捌き(司会進行役。みしみしだと、ゆかりさん)のディレクションにより長句(ちょうく:五七五)、短句(たんく:七七)を繰り返し付けて、全員で三十六句構成の大きな一つの詩を作っていく」
です。

そして、細かいルールがいろいろある。
発句は切れ字を必ず使うが、二句目以降で使ったらNG。
三句目は「て」で留める(昔「にて」もOKと聞いた気がするけど、記憶違い?)
五句目は「月の座」(季語「月」を入れなくてはならない)。
三十五句目は「花の座」(季語「花」関係。でも「桜」の季語は使っちゃダメ。ああ紛らわしい(^_^;)。
ラストは必ず春の季語で締める、しかも、めでたい感じの短句で。

さらに、「恋の座」というのがある。
文字通り、恋愛関係の句です💖
でも、狙って愛だの恋だのを詠むのはホントに難しい。
私は自分の番のときにで恋の座が来ませんように~、
といつも内心願っています💦

また、三十六句構成ですが、パート別に4つに分かれている。
第一部「初折表」はまじめに、第二部「初折裏」ははっちゃけてOK…というように。そのため、パートごとの異なりが一つの詩としての緩急を生み出し、詠んでいても読んでいても面白さを覚えます。

捌きは絶対的存在! 句を出してボツを食らうことも

そして連句では、捌きのディレクションは絶対!
「ここは神仏関係で」とか「お化け(妖し)を出して」とか言われたら、
その要素を満たして(必要ならさらに季語を入れて。ちなみに季節の指定があることも)詠まねばならない。

そうして、なんとか条件を満たして詠んでも「連なる句」と書く連句、自分の前の句と全く無関係なことを詠んだりするとNG(例えば前の句は公園を出しているのに、学校で詠んでしまったり)。
あと二句前(打越)に被るとアウトを食らったり😿

「やり直し!」と捌きからボツを食らうこともたびたびなので、私は保険的に2~3句つくって提出することが多いです。

他にもNG事項はいろいろあるようですが、忘れた頃に参加しているので覚えきれない私。捌きのご指示に素直に従い、粛々と詠むので精一杯でございます。トホホ😿

五七五だけど、長句と俳句は違う

連句を始めた頃、連句の五七五(長句)は俳句と同じように詠めばよい、と思っていました。でも、実際にやってみると違う。
俳句は一句で世界を完結させるけど、長句は後ろに短句が続くので何となく余韻が残る感じで終らせることが多い印象(ラストを「~て」とか「~に」にしているものが多いからかな? あと、句またがりのものが多いってのもあるかも)。

だからか、
「連句をやると、俳句がヘタになる」
と言われることが多いです。

多分、ゆるい作り方が身についちゃうので、俳句の切れのある完結型が崩れたり作りづらくなる、という意味ではないかなあ。
でも、俳句と長句の違いを理解して気をつけて詠めば、むしろ連句の経験は俳句実作のうえでプラスになることが多いと思います。

連句をやって気づいた俳句の作り方(取り合わせ)

では「連句のどんなところが俳句を作るうえでプラスになるか」です。

個人的見解だと、前の句に付ける作り方。
程よい距離を保ちつつ、つかず離れずで前の句とつながる句を詠む。
これを何度かやっていると、
俳句での「取り合わせ」の仕組みと効果(パワー)
がわかってくる感じがあるのです。

例えば、11号で私が参加した連句の部分です(以下、太字が筆者の句)。

眉太き復員兵の馬鹿笑ひ        庵
 機影はるかに峰雲を越え       こ

(『みしみし』11号、p5、2023)

前の句(長句)に「復員兵」とある。
なので、続く短句で「人」は避けたい(前の句の言葉と近いものはなるべく使わないのが決まり)。
さらに季節について「雑(無季)か夏で」という捌きのディレクションがありました。
そこで、復員兵→戦闘機と発想を広げ、夏の季語「峰雲」を組み入れ、「紅の豚」的世界を展開させるにいたりました。

このように、長句・短句でワンセットになる詠み方の連句。
これは現在の俳句の一句の中で行う「取り合わせ」を
二句に分けて行っているイメージに近い
のです。

なので、以下のような場合、連句を経験すると作り方を客観的に見ることができ発想の幅が広がるヒントがあるのではないか? と思います。

・季語と季語以外の言葉の距離の取り方がわからない(付く・付かないが感覚的にピンとこない)。付き過ぎて季語の説明みたいになってしまう。もしくは、離れすぎてしまう
・取り合わせはできるようになったけど、二物衝撃は苦手。そのため、発想の振幅のある句を詠めない

ちなみに、私の俳句教室の生徒さんに「連句の付け句と俳句の取り合わせの共通点」について例を出して説明したところ、反応がすごくよかった!
明らかに何かが腑に落ちた! という表情になった方もいて、みしみしの連句を紹介してよかったな、と思います😸

終わりに

連句に参加していると、自分の番が来るたび「この題? ひえええ💦」と頭を抱えることも多いです。通勤電車の中で唸りながらスマホ片手に考えたり。
でも、次第に一つの詩として大きくなっていく様子に接したり、付句により思わぬ展開になって進行形の立ち合いにワクワクすることも多いです。

そして、他の句に付けることで普段の自分の俳句では出てこない言葉や発想が出てきたりして、思わぬ発見や収穫があることも

そうして出来上がった三十六歌仙を見ると、初めて全体像が見えくる。
参加しているときは個々がバラバラに句を付けていただけのような気がしていたのに不思議と統一感があり、一つの世界が完成している。

これもまた「縁(円)」であり、だから「座」っていうのかもなあ。
そんなことを思ったり。


皆様にもこの機会に一度、連句作品に触れてみていただければ嬉しいです。
そして連句誌『みしみし』は下記より購入可能なようです。ぜひ😊
(写真の「二句二円」も楽しいですよ~💖)

最後までお読みいただき、ありがとうございました😊


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