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三色の交差点:俳句同人誌『カルフル』創刊号

あわあわとした光の輪が優しい表紙。
この同人誌、そして同人三人の現在、そしてこれからの光のようでもある。

俳句同人誌『カルフル』創刊号。
参加同人は土井探花・古田秀・このはる紗耶(以下、敬称略)。

俳句作品としては「新作」そして「ベスト旧作二十句選」が掲載。
三人の現在とこれまでの歩みを知ることができる、創刊号に相応しい試みと思う。

以下、感銘句
【新作】
思ひ出をがにまたでゆく春夕焼 土井探花
教室は造花の昏さ春の風邪 古田秀
酒星や小路をほのかなる小唄 このはる紗耶

【ベスト旧作二十句選】
落椿二三は溺れたる人魚 土井探花
月光の音量上げる手紙かな 

道聞けば暗きを指され烏瓜 古田秀
譲る本捨つる本春遠からじ

山眠る真珠のごとき天文台 このはる紗耶
山笑ふかたちに眉を描きませう

現在の土井の句は口語体だが、旧作は文語体。
しかし両者を比べてみても世界観や志向する言葉・熱量は変わらず、改めて土井探花という俳句作家の言葉・感性の力の揺るぎなさを再確認した。
句集『地球酔』は私のお気に入りの一冊だが、その世界に至るまでの過程を期せずして端的に垣間見た思いだ。

古田の十七音の構成には繊細な工夫が施されており、どの句もしらべが美しい。言葉の組み合わせ方(語順というべきか)は最近の俳句らしく、その中に観察の目が注意深く効いている。表現方法は一見さりげないが確かな発見がどの句からもうかがえる。
今回初めて作品を拝見したが句集を出されているのだろうか。
この世界観、一冊として読んでみたい気がする。

このはるは同じ『炎環』の同人、ともに勉強の場を共有する仲間である。
独自の言葉遣いと季語の捉え方。常に読者の予想を半歩~数歩裏切って
時に軽やか、時に大胆に十七音を展開していく。
彼女の俳句を読むたび、言葉や季語がひらひらと自由に舞っている印象を抱く。
本誌でもその魅力がいかんなく発揮されていると思う。

多くの俳句誌では作品以外に文章も掲載されており、本誌も同様だが切り口が面白かった。

特に上記の土井探花句集『地球酔』について。
鑑賞文が掲載されているのは一般的だが、
土井本人による「メイキング・オブ・『地球酔』」とも呼ぶべき打ち明け話がユニークだ。
そういえば、句集を出すまでの過程を詳らかにドキュメントした文章はあまりない気がする。
私自身、第一句集を出すときは周囲の経験者にいろいろ相談したことを思い出した。本づくりの仕事をしているので作業や行程はわかるのだが、「句集を作る」際にはその知識だけではダメで(誰に何の執筆を頼むとか、誰に下読みを頼むとか、御礼はいくらが妥当か等々)困った記憶がある。
しかも自分の本である。こだわりが様々に生まれるのは当然で、その辺りを土井本人がどのようにクリアしていったかが快い筆致で描かれている。
(私の話で恐縮だけど、第二句集の時には句集の経験がないオペレーターが担当したようで初校時にありえない組版(ノンブルの順番がおかしいかたち)をされてキレたこと、また帯も心配だったのでQ数やフォントを含めて指定書をpdfにしてメールしたことを思い出した^_^;)

これから句集を出す方、実践的かつ具体的な内容なのでぜひご一読を。
参考になると思います。

それ以外に評論・エッセイもある。
日本語以外の俳句についての土井の論の鋭さと誠実さ。
先日、私の俳句講座にフランス人の方が参加されて、私もそれから日本語だからできる俳句、他の言語の俳句だからできる俳句について少し考えている。言葉の使い方、思考方法などは言語によって異なる。そのときに私たちの「定型」とは異なるスタイルによる俳句作品を「俳句でない」と果たして言えるのだろうか。
そして、他の言語の影響を受けて私たちの定型も(ドラスティックではないとしても)変わっていく可能性が無いとは誰にも言い切れない。

古田の吟行句会レポートも楽しい。
五感をはばたかせて世界を十七音に言い留める充実感に心身を浸す喜びが文章全体から感じられ、嬉しくなってくる。
私も吟行、大好き。見ていたもの、知っているものが異なる表情を見せてくれる瞬間があるから。そして、それを十七音に掬い取ることができたときの快感。自分自身の心の澱が浄化され、更新されたような感動。
共感しながら読んだ。

そして、このはるが俳句の聖地・松山出身ということを今回初めて知った!
(もしかして炎環誌で過去にそのことを書いていたらごめんね💦)
だからといって小さい頃から俳句をやっていたわけではなく、環境が無意識に作用した結果が他県に移り住んでから結実したという点が興味深かった。
「物事には出会う時機がある」とよく言われるが、このはるの「内なる松山」はまさに熟成の時を待っていたのだろう。
縁という言葉の有難さ、そしてそれを享受するためには本人のアンテナの感度が必要なのだということを改めて思うエッセイだ。

フランス語で「交差点」を意味する「carrefour(カルフル)」。
交わって、分かれて、また再会して。
その繰り返しの中で三色それぞれの俳句世界が今後どのように展開していくのか、楽しみです。

このはる紗耶さん、ご恵送ありがとうございました😊


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