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結社の句会は、社会人になってからの「学校」だった

「その人にとって適した出会い方であるか」

数年前、所属結社誌の企画で
現代俳句新人賞受賞者による鼎談が行われ参加した。
その冒頭で「俳句を始めたきっかけ」を聞かれたのだが、私以外の人たちはネットやメールなどの通信媒体により句会へ参加したと回答した。
一方、私が始めた約二十年前(鼎談当時から起算)はネットやメールはまだごく一部の人しか使っておらず、ようやくPCが一般企業に導入され始めた頃。
だから、句会の参加方法は人づてや電話での
問い合わせがほとんどで、リアル以外の句会方法は「ファックス」が主流。
つまり「句会はリアルで行ってこそ参加できるもの」という考えが基本だった。

そんな俳歴の私だから、ほかの人たちの回答からは
「俳句はネットを通じて手軽に気軽に
 参加できる一表現手段」
に今やなったんだなということが
妙にくっきり伝わってきた。
と同時に、句会や俳句結社という
存在に対する印象に距離や温度差が
あるのは時代背景も一因だなと感じた。

いつ、どこで、どんな出会い方をするか。
それは俳句に限らず、すべてにおいて
その人のその後に深く影響を与える。
そして「その人にとって適した出会い方であるか」が特に重要なのではないか。

「句会はリング、そして学校」

(ここからの句会は主に「結社の句会」を指します)
その意味で「リアル句会への参加が主流」というアナログな方法は、私には適した出会い方だった。

そう思う主な理由は二つ。
「いろいろな大人がいた」こと、
そして「若かった」ことだ。
大学を卒業して一年ほどで結社に入り
句会へぽつんぽつんと参加しはじめた。
そこは職業も年齢もさまざまな大人たちが
17音という短い言葉について丁々発止で
真剣かつ楽しげに意見を闘わせる
「リング」だった。

その場は、社会人になりたての私には
さまざまな意見や表現、そして大人を
見て触れて知る「学校」として映った。
何よりも先生をはじめ、そこにいる大人たちは会社の大人とは全然違って見えた。
今なら会社の大人だって面白い人が
いっぱいいることを知ってる。
でも、当時の私は会社(組織)が怖くて
いつも緊張してた。大人を敬遠してた。

もちろん句会も会社とは別の怖さがあって
緊張しながら末席にいて
ほとんど何も発言できなかったけど
評を聞いてるだけで
作品を見てるだけで
いつも新しい景色の中を歩いているようだった。
そして、知らないうちにいつも笑ってた。

「この人たちのリングに私も入りたい。
 そして私もいつか作品を取り上げて
 もらえるようになりたい」

幾度も湧いてきた熱い気持ち。
世間知らずの、でもまだ柔らかかった心は
自分を表現する場と手段に飢えていたのだろう。
多くの刺激と情熱を栄養として
私は17音に言葉を載せ始めた。

「ここだから今も俳句を続けていられる」

今は私も句会でデカい口を叩いてて(^^;
また年若い仲間たちができて
たまにお話を聞いたり、作品を見せてもらってます。
「大人」を見上げ憧れてる立場から
少しずつ変わってきたようです。

実際に参加して俳句と人の息吹を
毎回感じていたあの頃。
優しく温かく接してくださった先生との初対面。
その記憶が今も大切で幸せなものとしてあるから私はずっと同じ結社にいるのだろう。

そして多分、私は所属結社以外では
俳句を始めてもすぐに辞めてたと思う。
多分、表現手段をフラメンコに切り替えて
踊りまくってとっくに挫折してたろう。
多様性を歓迎する先生だから、結社だから、
俳句を続けられているのだ。
あの頃も今も。

コロナでリアル句会への参加が
依然と厳しい状況だが、
少しずついろいろな方法が出てきている。
殊にZOOMを使ったハイブリッドな試みなど
「リアルで会えずとも顔を見て句会ができる」ネット環境と技術の進歩に新しい「出会い」や「参加」の可能性を思う。
今後は出会いや参加の定義も変わっていくのかもしれない。
でもどんな時、どんな形でも
「その人にとって適した
 俳句や句会との出会い方」
があるはず。

私にとって結社の句会が人や表現の多様性を
教えてくれる「学校」だったように
これから出会う人はそこに何を見、
また思うのだろうか。
そしてどんな表現が出てくるのだろうか。

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