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個人的な最近の俳句③:自分の中にあるものこそが「表現」になる

先日、講師を務めた川崎市・俳句入門講座、第1回。
講座中にふと思いついて、下記の内容の言葉をボードに書きつつ、話しました。
(正確ではないですが)

「自分の中にあるものしか、表現として出てこない。どんなに背伸びをしたり、カッコいいことを言おうとしたり、または言ってみても、それが自分の中に浸透したものでなければ作品としての説得力は生まれない。また、共感も得られない」

普段何となく思っていたことでしたが、
具体的に言語化することで
「本当にそうだなあ。表現てその繰り返しだなあ」
自分自身も改めて腑に落ちました。

自分の中にあるもの。
それは言葉だったり、感情だったり、体験だったり。
種類はさまざまですし、人それぞれ、その内容は違います。

そして、そのうち、時間の経過とともに夾雑物が濾過され、残った「本質」が(意識的、無意識的のいずれかわかりませんが)選択され、適切な方法を経て「表現」となり,形を得て「作品」として成熟するのではないか。

そうした過程を経た表現は普遍性をもちうる。
だから、作品は客観性を有し、自分以外の誰かに世界観が伝わっていく。これはどのジャンルでも同じことが言えると思います。

そう考えると、表現という行為を磨くには
何も特別なことは必要ではないのかもしれない。
普段の暮らしを見つめ、自分の中を見つめ、深めながら、抽斗を増やしていくこと。
そうして、自分の世界を耕し広げていくこと。

それが大事なのではないか。

その積み重ねの延長で、遠くにいる未知の誰かに届き、通じあえる世界を作品としてやがて生み出すことができれば。

そう願っています。

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