私はダレなのか〜夢と不安を食べてた俳句の頃

●「昔の自分に見せてやりたい」


俳句世間では50歳未満を『若手』と言うらしく、かろうじてその中のワタクシ(^_^;)
そんな私もここ数年、年下の作家さんたちのお話を聞く機会が増えました。

対象は主に所属するグループの人たち、
年齢も20〜30代。
内容は創作上の悩みやアドバイス、
作品を見てほしいとの依頼など様々。

皆さん同じ頃の私に比べると、
とにかく上手い! 熱心で意識も高い!
知識もたくさん! 
チャレンジ精神も旺盛☆
「昔の自分に見せてやりたいよ」と
恥ずかしくなること、しばしば。

●俳句よりも踊り、彼氏

だって、私はヒドかった。
俳句歴6年目近く以降から、壁にぶつかり。もう辛くてしんどくて。
それもあってか、もともと夢中だった
フラメンコに益々のめり込み。
さらに彼氏がいれば、句会よりもそっち(-_-;)
投句の時期だけ作る、その繰り返し。
結構長かったです、そんな時期。

●「俳句をしない時期」も役立つ


まあ逃げと不安のヘタレの日々でした。
周囲の若手は、俳句賞に応募。
どんどん予選通過してくし。
自分は全然通らず(当たり前だわな)。
周囲との差はつくばかり。

「私、ダレなんだろう? 
一体、何をしてるんだろ?」

焦燥感の渦をぐるぐるするだけ。

それが色々気づくことあり、
少しずつ俳句に再び身を入れるように。

そんなダメダメ私だから、
偉そうなことなんて言えない。
でも、顧みると今、栄養になってると思うことが2つ。

1つは「俳句以外のことに夢中になってた」こと。発想や材料の抽斗がその時期にとても増えた。インプットというのか。それが「どんなことを対象にしても詠める」力を培ってくれた気がします。

もう1つは「だらだらやってても、続けたこと」。
やめないことは、大きいです。
疲れたり迷ったら、ペースダウンすればOK。
とにかく続けた者勝ち。
やってれば、ある日何かが見えることがあるかもしれない。
そこから、逆転のチャンスが来るかもしれない。

●「もっと勉強してほしい」の違和感


ン十年前、まだ新人の頃
私は先輩からそう言われました。
でも、私はピンと来なかった。

「俳句は勉強するものなのか?」

その違和感がずっと拭えませんでした。

そして今。
私はそのアドバイスに従わなくて
よかったと思っています。

言葉や文法などの技術の習得は
当然大事だし必須。
作家作品を味わうことも
欠かせない栄養。

でも、それを「勉強」としてやるのではなく、自分の表現を生かすためにやる、というスタンスを私は選びました。

あと、今、お話を聞くとき、
マニュアル、という言葉が出てくることがたまにあります。
その考え方もある程度俳句創作に慣れたら、捨ててよいと思う。
というか、俳句作家になるなら、捨てないとダメだと思う。

あまり勉強やマニュアルにこだわると、
せっかく感性が開く前に死ぬタイプの作家もいるからです。

自分はどんなタイプなのか。
何を表現したいのか。
その自覚と意識を先に養うほうが
よいのでないかな、創作をめざすなら。
その上で、やりたくないときは少しよそ見してみて。
そうしたら、思いがけないブレイクスルーが来るかも。

その結果、
自分がダレか、も、
自ずと見えてくると
経験から思うのです。


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