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フルベッキ写真をどう見るか

大政奉還は自国民による革命

大政奉還については、岩倉具視から薩摩藩と長州藩に
討幕の密勅がひそかに渡されたが、この密勅には天皇による
日付などの記入がないなど、詔書の形式を整えていない異例のもので、
討幕派による偽勅の疑いが濃いものであった。とされている。

大政奉還が行われた時点においては、岩倉ら倒幕派は
朝廷内の主導権を掌握していなかった。
12月の孝明天皇崩御を受け、1月に践祚した明治天皇は満15歳と若年で、
親幕府派の関白・二条斉敬が摂政に就任した。

つまりこの時期の朝廷は二条摂政ら親幕府派の上級公家によって
主催されていたのであり、大政奉還がなされても、
このような朝廷の下に開かれる新政府(公武合体政府)は
慶喜主導になることが当然予想されたため薩長や岩倉ら討幕派は、
クーデターによってまず朝廷内の親幕府派中心の摂政・関白
その他従来の役職を廃止して体制を刷新し、
朝廷の実権を掌握する必要があった。

討幕の密勅は朝廷内でいまだ主導権を持たない岩倉ら倒幕派の
中下級公家と薩長側の対抗手段として画策したものである。

しかし予想外の大政奉還の動きに倒幕派は混乱、
武力蜂起の計画を立てていた薩摩藩はしばらく様子見をすることとなったが最終的には武力による幕府打倒で藩論を統一し、藩主・島津家の率兵上洛、王政復古のクーデターへと向かっていくことになる。

この歴史的事実から、明治天皇を推す岩倉具視と薩長同盟が
明治維新を起こした中心であったことは間違いない。

フルベッキ群像写真

在米オランダ改革派教会から派遣された宣教師フルベッキとその子と
佐賀藩の佐賀藩の学生や教師らで写した集合写真で
撮影時期は、明治元年(1868年)10月から11月と推定されている。

しかし、明治28年の雑誌「太陽」7月号に、
佐賀の学生たちの集合写真として紹介された際、記事を書いた
戸川安宅は被写体となった人々については一切言及していない。
また、日本学の研究者ウイリアム・グリフィスは著書の中で、
フルベッキがアメリカに送ったこの写真は「のちに政府の様々な部署で
影響力を持った人々」が写されていると述べており、その後、
明治40年に刊行された『開国五十年史』(大隈重信編)にも
「長崎致遠館 フルベッキ及其門弟」のタイトルで掲載されている。

写真の推定

現在この写真は写真師の上の彦馬が長崎の上野撮影局において
フルベッキ父子2名と佐賀藩が長崎に設けた学校「致遠館」の学生や
教師44名を撮影したものであると言われている。
明治元年に致遠館に留学した岩倉具定・具経兄弟(岩倉具視の次男・三男)がフルベッキ父子の左右に写っていることや、
撮影が行われたスタジオ内の背景などから、岩倉兄弟の長崎滞在の時期から見て明治元年の10月28日から11月19日までの間に撮影されたと推測。

2013年にその証拠となる写真も発見されている。明治元年10月8日に
フルベッキと佐賀藩中老・伊東次兵衛が致遠館教師である佐賀藩士5人と
一緒に撮影された写真(撮影者は上野彦馬)が見つかった。
その写真の撮影日を裏付ける伊東次兵衛の日記の存在も知られている。
致遠館教師5人はほぼ同じ姿で「フルベッキ群像写真」にも写っている。

「フルベッキ群像写真」に写っている致遠館の学生の名前も
徐々に判明してきている。フルベッキ親子の両隣にいる岩倉兄弟をはじめ、
折田彦市、折田彦市、相良知安、石丸安世、山中一郎、
香月経五郎、中島永元、丹羽龍之助、石橋重朝、江副廉造など、
維新の志士ほどではないにしても政治家や官僚としてのちの歴史に名を遺す人物も確認されている。

根強い維新の志士説

昭和49年、肖像画家の島田隆資が雑誌「日本歴史」に、
「この写真には坂本龍馬や西郷隆盛、高杉晋作をはじめ、
明治維新の志士らが写っている」とする論文を発表した。
(2年後の昭和51年にはこの論文の続編を同誌に発表)

島田は、彼らが写っているという前提で、
写真の撮影時期を慶応元年(1865年)として、明治元年説を否定。
佐賀の学生たちとして紹介されてきた理由は、
「敵味方に分かれた人々が写っているのが問題であるため
偽装されたもの」だとした。

島田の説は学会では相手にされなかったが、
一時は佐賀市の大隈記念館でもその説明を取り入れた展示を行っていた。
また、昭和60年には自民党の二階堂進副総裁が議場に持ち込み、
話題にしたこともあったらしい。

果たして真相は・・・

明治維新の陰謀説との結びつき

この写真の話題は、その度に否定されるにも関わらず
再度流行する傾向がある。最初に島田隆資が同定した
維新前後の人物は22人であったが、現在では44人の人物すべてに
維新前後の有名人物の名が付けられている。

島田隆資と同様の見解を取るものの中には、
大室寅吉(大室寅之祐)という名でのちの明治天皇が
写っているとした説、明治維新は欧米勢力が糸を引いていた説
とする陰謀論、偽史の証拠とする説まで発展しており、
欧米勢力がフリーメイソンがであるといったものまである。

オススメは加治将一

加治将一は歴史ミステリーに多くのファンを持つ作家で
明治天皇すり替え説をリアルに展開した『幕末 維新の暗号上・下』
皮切りに、孝明天皇の妹、和宮暗殺に迫る『幕末 戦慄の絆』、
西郷の写真を暴露した『西郷の貌』、天皇の出自に一石を投じた
『舞い降りた天皇上・下』『失われたミカドの秘紋』など
望月先生シリーズ5部作は、累計100万部の大ヒット。

また『龍馬の黒幕』では、想定外の龍馬暗殺の下手人を書いて、
全国の龍馬ファンにショックを与えたが、
各局別々に3度テレビで映像化されることになった。

今までの歴史に対する発想、当時の人々の思惑が生き生きと
書かれており、今の歴史学者による決めつけた定説よりも
よほどワクワクされられる作品が多い。

フルベッキ写真を発端とする『幕末 維新の暗号上・下』でも
島田隆資が唱えた説を世界的基準でみた感覚と
独自の推理センスで見事に書き上げられている。
ぜひ1度は、手にとって読んでみてほしい。



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