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ラオスでみた景色

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ラオス暮らしのなかで見たこと、感じたこと、考えたことなど。
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2019年9月の記事一覧

深夜のバルコニーから

今の私の家は、メコン川の支流のナムサン川に面していて、バルコニーからは川とその奥に茂る森が見渡せる。 なんとなく思い詰めた時、気持ちを新たにしたい時、バルコニーに出ると、変わらない景色がそこにはあって、いつも心を優しく包みこんでくれる。 変わらない景色だけど、表情は毎日違う。 今夜はふと、バルコニーに干していた洗濯を取りに行ったら、いつもの森が暗闇で影のようになっていて、それを覆う夜空が少し明るいことに気づいた。 上を見上げたら、久しぶりの満天の星空だった。 雨季で雨が

ラオスできこえる音

音は、目が覚めたときに、一番最初に感じるものだと思う。 寝ぼけていて視覚がはっきりしていなくても、音は無意識に、すっと入ってくる。 例えばいつもと違う場所に泊まった時も、起きた瞬間にその場所独特の音がするから、「あ、今日はいつもと違う場所に来てるんだ」と気づく。 それくらい音というのは身体にしみこんでいって、記憶と結びつく。だから、そんな「音の記憶」を残しておきたい。 今住んでいるボリカムサイのパクサンで聴こえてくる音は、鶏の鳴き声と、季節によって変わる虫の声、そして

朝の習慣

丸の内のビルで働いてた時は、毎朝地下のローソンか、お金と時間に余裕のある時はその隣にあったスタバで、コーヒーを一杯買うのが日課だった。 つねに睡眠時間短めで朝はいつも眠かった気がする。 とりあえず電車に乗って、小一時間ぼーっとして。 デスクに座ってまずコーヒーを飲まないと頭が働かないカフェイン中毒になってた。 その朝の一杯を飲むことで気持ち的にも仕事モードになれてうまく切り替えられてたんだと思う。 ラオスに来てからは、まず通勤手段がバイクになり、家から職場まで10分弱走

心のふたをはずす

茨木のり子さんの「自分の感受性ぐらい」の一説が、今の自分の心にずしんと響く。 ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志しにすぎなかった ここに来る前、とてもやる気と希望に溢れていたと思う。 日本での研修の時から、人一倍張り切って、熱い思いを語っていたように思う。 いつから、崩れていっただろうか。 孤独、しがらみ、無力さ。そういうものと向き合っていく力をどんどん失って

旅のような暮らしのむずかしさ

わたしは日本で働いていた時、紀行ものを読むのが好きだった。 深夜特急・一号線を北上せよ(沢木耕太郎さん)にはじまり、ASIAN JAPANESE(小林紀晴さん)、ハノイ式生活(飯塚尚子さん)など…旅や現地での暮らしが「生」そのものとして書かれているものたち。会社での仕事に忙殺されるなかで、そういう本を読むことで、旅の疑似体験をしていたんだと思う。そして、生きる原動力にしていた。 東南アジアは、生のエネルギーをもらえるから好きだった。人の暮らしがありありとそこらじゅうに溢れ