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閑話休題~退職代行を使ったりした話

国内独立系アセマネを退職した後

実は、前職(国内独立系)を退職する際に某有名外資生保のコンプライアンスに内定していました。そして入社したのですが、実は3日で辞めました。
この話は今まで誰にもしたことがありません。私以外には、この外資生保の案件を紹介してくれたエージェントしか知らない話です。

資本は外資でしたが、中は完全に日系大手でした。それも、古い日系です。日系生保を複数社買収して今に至ってきているため、誰がどの生保出身かだとか、アセマネって何?だとか、何も仕事をしていない役員がぶらぶらして社員の様子を見ながら社内を散歩していたり、他にもあるのですが、社内の雰囲気がとにかく暗かったです。雰囲気がじめっとしていて暗くて、くたびれた印象のおじさん社員ばかりで気持ち悪かった。歓迎ランチや歓迎ディナーもありましたが、その中で年長者が謙遜したらそれを他の社員がよいしょする流れが繰り返され、気持ち悪い・・・それが、この外資生保の印象です。なじめる気が全くしませんでした。
1日目出社し、2日目も出社し、3日目で嫌になり熱を出したということにして休み、その日のうちに退職代行を行う法律事務所に連絡して代金の5万を振り込み、4日目の朝に弁護士からその会社の人事部に電話を入れてもらいました。まさか4日目で「退職します」と言う勇気はさすがにありませんでした。

無職突入

退職代行の弁護士経由で「そもそもの入社が無かったということにしますか?保険の手続きもまだ終わっていないので、そうすることもできます」とも言われましたが、悩んでいるうちに先方から再度「やはり通常の退職の扱いにします。保険関係は一度手続きして、退職の書類も送ります」と連絡が来ました。私としてはどちらでも良かったので、とにかく親には連絡してくれるなとだけ弁護士経由で連絡しました。

そして無職になりましたが、アセマネに限らず20代から30代の人材はどこも不足している上に、コンプライアンスはたいてい50代以上のおじさんが就いていることが多く、後進の育成が大きな課題になっています。
そのため、エージェントがアセマネの同職案件を複数持ってきてくれました。

英語

当初は外資系をすぐに考えていたわけではありませんでした。前述の外資生保では英語力チェックは無く、業務でもおそらく使うことはほぼ無かったと思います。
しかし、A社(前の記事の国内独立系)を離職した後に一番豊富に案件を紹介してくれたエージェントは外資の案件を中心に扱っていました。
英語での業務経験がほとんどない私にも外資案件をたくさん紹介してくれて、いくつか英語レベルで落とされた後に、欧州の某有名投資銀行グループのアセマネB社のポジションを持ってきてくれました。
英語はかなり使うけれど、あなたのポジションではオーラルで英語を使う機会はほとんど無い(それよりも投信協のルールを知っている人が欲しい)というニーズもあり、またそのポジションはエージェントが独自に拾ってきたconfidential案件(B社は付き合いをするエージェントをかなり絞っていると後から聞きました)、しかも事情があって至急の募集だったという先方の都合と、私が離職済みでいつでも入社できるステイタスであるというマッチが入社のハードルを下げてくれて、無事内定をいただくことができました。
A社からB社へのブランクは4ヶ月です。英語力、特に会話力があればもっとスムーズに決まっていたと思いますが、結果的にB社に行けて良かったと思います。

外資独立系のオファーも実はありました

実は欧州の独立系のかなり大手のアセマネのコンプライアンスポジションのオファーもこの時期に頂いていました。ロンドンのコンプライアンスヘッドの、かなりポッシュな英語で何を言っているんだか半分以上分からなかった面談も通過しました。
今だったらこのオファーを選んでいたと思いますが、私はA社で感じた「独立系=変な文化が根付いている変な会社」というイメージを持ってしまっており、エージェントが言う「外資だからそんなことはないと思いますよ」という言葉を信じることができませんでした。ちなみにこのエージェントは、B社を紹介してくれたエージェントとは別の会社です。
なぜ外資有名独立系のオファーを辞退したか。なぜ「外資だから、独立系と言っても不安に思うことはない」を信じられなかったか。それは、日本オフィスの社長との面談で「え…?」となったことがきっかけでした。
社長面談の時点でもうほぼオファーは決まっているような雰囲気でした。本国のコンプラヘッドがOKした候補者を日本の社長がNGにするにはそれなりの理由が求められるからです。
その社長面談で、「あなたが一番嬉しかったことと悲しかったことを教えて。用意された質問や回答は要らないし、僕はあなたの人間性が見えるエピソードが聞きたい」と言われ、初対面の相手に人生で一番悲しかったことを聞いてくるなんて嫌な人だなと私は思ってしまったのです笑。バカですねー。まじで私アホ。
人生で本当に悲しかったことなんて言えるはずないのですが、ペットの話とか受験の話とか、たわいもない話で良かったんです、当たり前ですが。
社長は納得していませんでしたが、とにかくオファーは出て、私はそれにサインすることはありませんでした。バカ。あほ。


ともあれ

B社の入社時期はコロナが騒がれ始めた頃で、B社はほぼフルリモートでした。ちなみにコロナ真っ盛りでもA社では相変わらずフル出社で、狭い会議室に社員をぎゅうぎゅうに集めて行う週次の朝礼も継続、誰もマスクなんてしていない、パーテーション?キープディスタンス?何それ美味しいの状態だったそうです笑。

次の記事ではB社でのことや、国内独立系から外資の巨大金融グループ系に移った後に感じるカルチャーショックなどを書く予定です。

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