noteに毎日書くのは… ②<rules>
noteは、木庭撫子HPの「しあわせのかけら」と題した日記のページとリンクして、ブログのような役割を担っている。
HPを立ち上げたとき、毎日必ずこのページは更新しようと決めた。
「一日一善」ならぬ「1day1note」である。
不測の事態が起きて途絶えるかもしれないけれど、どんなに忙しくとも、1行でもいいから書くことにしている。
そして、実際にコツコツ書いているうちに、なんとなく、自分なりの不文律のルールが生まれた。
①書く内容は「その日」経験したことや考えたことに限定する(※できるだけ)。
②日付が変わるまでに、アップする(※23時59分がタイムリミット)。
③アップしたnoteは翌朝までに推敲し、直すべきところは直す。
④翌朝9時頃までに、Facebookにシェアする。
⑤遅くともお昼頃までには、Twitterにもシェアする。
今こうして書いていて「5つになったから五か条だ!」と初めて気づいたほど、「なんとなく」なルールではある。なので、Facebookにシェアしてからも、読み直すたびにちょこちょこ直し、夕方にはけっこう加筆した原稿になっていたりする(※そのため、時間を置いてもう一度読むと、かなり推敲の痕跡があると思われます)。
シェアに時間差を設けたのは、推敲する時間が欲しかったからだ。
始めてまだひと月足らず。毎日ある程度の原稿(※自分に関する原稿は書きづらい…)をコンスタントに書くことに慣れていなくて、その日書くネタも夜10時か11時になって慌てて決めるという、切羽詰まった原稿がほとんど(※締め切りぎりぎりにならないと書けない性分は、書く行為が好きじゃないからだと思われます)。
夜に飲み会があったりすると前もって書いて置かないと不安だし、先日鹿児島へ行ったときは久しぶりに会った後輩と話が弾んで0時近くになり、「ちょっと5分書かせて!」とお喋りを中断してとりあえず書いてアップしたりと、綱渡り状態な日もある(※実際あの日書いた『青い桜島』は、翌朝に随分と加筆訂正しました)。
書き方も最初のうちは「ですます」調にしてみたり、手掛けた番組の告知もしてみたり(※これはたぶんもうやらない)、いろいろと手探りで書き進めているのが現状だ。
FacebookとTwitterは、忘れないよう同じ時間にシェアすることも多い。
Twitterはもともと稼働していなかったので反応もほとんどないから忘れがちになる。慌てて夜になってシェアする、ということもよくある。
Facebookは友人限定公開で、これまでもよく上げていたからつながっている人も多く、「いいね」を押してもらえると普通に嬉しい。
もともとこのページをシェアするつもりはなかったのだけれど、noteは始めたばかりで、フォロワーも「スキ」を押してくれる方々も少なく・・・となると「自分だけのnote」っぽくなって、やる気が失せてしまう(=過去に挫折したパーソナルな日記と同じように書かなくなってしまう)危険性があるので、モチベーションをあげるためにシェアすることにした。
昨日の①<duty>に記したように、わたしが「書く」意欲を持続させるには「誰かに見せる」ことが大切だからだ。
そのため今は、11時59分が締め切りの「仕事」のつもりで書いている。
仕事の原稿にはかならず、提出した先の反応がある。しかしこの原稿に関しては、読後の反応と呼べるものは「スキ」や「いいね」や「コメント」しかない。正直、ちょっと、さみしい。
しかし、これはわたしの『日記』である。『エッセイ』というと私的要素が若干薄れるのでできればそう言いたいけれど、個人的な内容がどうしても多くなってしまう。
「他人の話なんて興味ないよ」と思われる場合は、読んで頂くのも申し訳ないので、スルーして頂きたい。わたしも「誰かに見せる」内容を意識してはいるものの、友人や家族の話は『日記』に外せない話題だから。
とはいえ、単純に「スキ」や「いいね」や「コメント」があると、反応が実感できてとても嬉しいのは事実。大人になっても物書きになっても、やはりほめられてこそ、なんだとつくづく思う(※「これはちょっと駄文だなあ」というご批判コメントでもいいので、なにがしかの反応を頂ければ幸いです)。
そして最後に…。
わたしのこのnoteは、「書く」鍛練の場として使わせて頂いているので、何度も推敲したくなってしまう。一度アップした内容を加筆訂正することに、寛大なるお気持ちで、ご容赦を(※加筆訂正のタイムリミットは翌日23時59分にします)。
追伸。写真は昨年のちょうど今頃、実家を売却したときに手離したピアノ。ヤマハで中古のピアノを世界の子供たちに届けるというプロジェクトに託した。あまり弾けなかったから、どこかでたくさん弾いてもらってほしい。
ピアノは好きだったのに、得意にはなれなかった。
好きこそものの上手なれ、というが、得手不得手は、好き嫌いに呼応しないと思う。
少なくとも、わたしの場合は。
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