生ジュース渇望論
駅構内やホームでよく見かけるジューススタンド。
以前は「どうして駅に生ジュース?」と、不思議だった。
缶やペットボトルのジュースなら自販機で買えるし、持ち歩きに便利だ。
生ジュースはプラスチックの蓋があるとはいえ、ストロー付きの紙コップ。非常にこぼれやすい。鞄には入れられないし、そのまま車内に持ち込むのも辛い。購入したら、ほぼその場で飲みきる必要がある。手荷物が多いときなどは、面倒なことこのうえない。
なのに、駅で売っている。
わざわざ往来の激しい場所で。
いったい、なぜなのか。
それは、生ジュースがフレッシュな『ビタミン剤』だからだと、わたしは確信する。
ここ数年、自分が『働くミドルエイジ(あえて中年とはいわないよ)』になって、この生ジュースの有り難さをヒシヒシと感じるようになった。忙しい電車移動の途中に、オアシスのように存在する駅のジューススタンドを見かけると、ほんとうにほっとする。ささっとビタミン補給をして、疲れた身体をリフレッシュしたくなる。
先日、原稿を書くときにフルーツパワーが欠かせない話を書いたが、まさにその力を手軽に手に入れられるのが生ジュースだ。
おそらく、外回りの多い営業マンや仕事途中のサラリーマンも、同じ理由で利用しているのではないだろうか。そんな、1日の途中でビタミン剤を補給したいミドルエイジたち(中年じゃないよ)の、大いなる需要があって、ジューススタンドはそこにあるのだと思われて仕方がない。
いったいいつから存在するようになったのかわからないが、高度経済成長の時代には『生ジュース渇望論』が沸き起こり、当時から疲れたサラリーマンの一助となってきたんじゃないだろうか。
顧客はなにもミドルエイジやサラリーマンに限定されてはいないよ、と指摘されるかもしれないけれど。大きな枠組みとして、なんとなく。
色とりどりのミキサーが並ぶ駅のスタンドで、今日はそんなことをぼんやりと考えた。
「若いときは素通りしていたのにな」と肩を落としながら。
ちなみに選んだのは『東京グリーン』という名の、小松菜とパイナップルのジュース。
いつもなら大好きなラ・フランスを頼むところだが、フルーツだけではもの足りない気がした師走である。
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