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なでかたうさぎの日常~映画編~

待ちに待った休日、7月17日がやってきた。
久々に映画館へと足を運ぶ。

7月公開の映画といえば、

細田守監督の最新作
「竜とそばかすの姫」
予告映像も流石の美しさ。

「東京リベンジャーズ」
キャラクターの再現率が高い。
ドラケン推しだが、ほんと全員カッコいい。

また、マーベルしかり色んな映画が7月公開された。

でも今日は

牛。

まごうことなき牛。

私は牛を観に行った。 

映画館に着くと丁度初回の人達が退出するところだった。
ぞろぞろと地下から人が出てくるのだが…

真顔の人間と笑顔の人間が交互に出てくる。

そう、見事に表情に賛否が現れていた。

まぁポスターから察して好みが別れるのは当然の映画内容だろう。
果たして自分はどちらの顔で退出することになるのか…この時はまだ知るよしもなかった。

そして始まる牛映画

序盤は、とあるインドの村で水牛を捌く肉屋とその周りの村人達の日常が描かれる。

それは常に変わらず、くる日もくる日も肉屋は牛を捌き、村人は肉に群がり、売買が行われる。

淡々とした日常。
娯楽といえば近所の噂話や色恋沙汰ぐらいで
特に刺激になるようなこともなく、日々を生きるためだけに過ごす。
心なしか満たされない日々に彼らは苛立ちを覚えているようにもみえる。
しかし彼らには明日も同じような日が来るのだろう。

そんな日常をぶっ壊す
水牛脱走事件

肉屋が〆損ねた水牛が脱走し村を荒らしはじめた。

村の男たちは躍起になって牛を探し、
仕留めるのは俺だ俺だと小さな喧嘩がいたるところで起こり始める。

そして井戸の底にいた牛を引き上げ、男たちは仕留めようとするが…


牛は本当に居たのか

映画は後半、淡々とした日常が生んだ小さな不満が、転がった雪玉のように徐々に大きくなり、暴走した水牛の如く怒りのエネルギーとして加速していく。
そうして牛を仕留めるという「正義の娯楽」を理由に人が人で失くなっていく。

見終わった直後思ったことは 

…そもそも牛は本当に居たのだろうか。

実際、牛は出てくるし、井戸からも引き揚がってくるシーンや人に襲いかかるシーンもあるから居るっちゃ居る。

牛は暴走といわれどもただただ、自身が殺されぬように逃げているだけで、
怪獣のように大きくもなく火を吐くでもなく、だだの牛である。

その「ただの牛(日常)」を悪とすることで人間達の愚かさや正義の暴力を可視化することが上手く出来ていると感じた。

けれど、牛を撮さなくても成り立ってしまう面白い映画だと思った。
むしろ撮さないほうがこの映画を観ている我々の創造力を掻き立てられるのではないだろうか。

本当に牛は居たのだろうか、単なる人間の欲の妄想だったのでは…?と。


以上をまとめると

私は笑顔で映画館を退出したのである。



この映画を観た全ての人に
「Bless You (神のご加護を)」

おしまい

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