ご飯という幸せ

夏休みの間に、バイトを始めた。駅の近くで静かな雰囲気に包まれる日本料理のレストランでなんとなく受け入れられた。キッチンスタッフとして働いている私、最初のきっかけは色々なスキルを向上させながらお金を稼ぐことだけだった。日本語や料理の知識も上手なわけではないが、職場のみんなが教えてくれたり優しくしてくれたりするので今まで働き続けている。振り返ったら学んだことが沢山あったのだろう。

母国にいた時と比べると、日本に来た時から食事するのがどんどん好きになった。うちで料理するか友達とカフェ巡りに行くか、食事というのは飯を食うことより交流の機会や新しいものを発見できることだ。母国にいた頃、母親が忙しく、友達も門限などがあってゆっくり食事をする機会はそもそもなかった。さらに交通渋滞で外食するのも時々難しかった。「ご飯」はただ済ませる習慣だったような気がする。

日本では、ちょっとした食事でも、感謝を表すためにせめて「頂きます」や「ご馳走様」をいうはずだ。感謝という気持ちはご飯を作った人にまたは食事自体に表すのが重要である。前者は、キッチンのバイトを始めた時から気づいたことなのだ。例えば、簡単なヌードルサラダを作ったらまずは野菜が新鮮かどうか確認すること、丁寧で切ること、麺をゆでて味付けすること、そして綺麗に仕上がること。高級レストランかどうかに関わらず、味と共に料理の見た目は大事にするべきではないかと思う。お客さんの立場から見るとわかるようになった。食べる前に写真を撮ってSNSにアップして、後日に見たら「その日もお腹いっぱいで嬉しかった」とか考えさせられることは結構あるだろう。食べ物を提供するだけではなく人を幸せにする仕事であり、このバイトを選んでよかったな、と思いについて。

後者について、ご飯自体は交流や思考の場所ではないだろうか。なぜなら、日本には相手を仲良くなりたかったら「今度ご飯に行かない?」というような言葉をよく使うからだ。日本人にとって日常の忙しさの中で、食事の時間はリラックスできる唯一の時間である。私の職場では、ランチとディナーシフトの間に1時間あるのでシフトが終わった人と休憩中の人は一緒に賄いご飯を食べることも多い。初めて賄いを食べた時は忘れられないかもしれない。我が店はビルの最上階にあり、個室の一つを食事に使用すると街の眺めが美しく見えて誰でも癒されるはずだ。だが一ヶ月このバイトをやってきても私は上手くできないことが沢山あって、頭の中に不安しかなかった。その瞬間に同僚が食事に来て、「慣れてきた?」とか「今日は結構入っているな」など私を慰めるかのように声をかけてくれた。暖かい飯を食べながら仕事の相談をしたりして、お互いのことを知るようになったり、非常にほっとした。

写真も忘れずに撮ってきた。賑やかな町を背景にしたエビチリとクリームシチューを食べたという思い出。日本に来たらご飯の写真だけから「こんなに幸せがあるんだ」というふうに感じるようになった。

今日の賄いご飯は鍋だった。肉を食べられない私は、同僚が作ってくれた二つの鍋は豚と豚なしに分けあって、料理だけで彼の気遣いが感じられた。ガラス窓からの景色を見ながら思わず微笑みを浮かべてきたような気がする。明日のシフトもご飯で他の人を笑顔にするために頑張っていきたいと思う。

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