わびさびを、ビジネスや婚活に転用してみた
とあるホテルに滞在した際、ライブラリーにある、日本の文化を紹介する本に惹かれた。
無駄、無価値、無意味なモノやコトの大切さをここ一年くらい感じているから、もう少し、ルーツとなる、わびさびのことや、千利休について学びたかった。
わびさびについて書かれた本や、千利休の生涯を書いたマンガを、別府湾を望む、ライブラリーでのんびりと…いや、食い入るように読んだ。
夕食を済ませて、露天風呂を満喫してからも、部屋で読み続けた。
気づいたら、朝4時だったwww
わびさび…なんとなくイメージが湧くけど、言語化ができていなかった。
一通り読んで
「不完全で、はかなく
未完成のものの織りなす美」
という言葉がシックリ来た。
欧米における効率化や生産性の対極にあるような、非効率的で、余白を楽しむさま。自然の世界にあるような、乱雑さ、不整さ、の織りなす美しさ、のことと理解した。
とここまで来て、あぁ、やっぱり私の好きな概念だと感じた。
しかし、なぜだろう、こんなに不完全さを尊ぶ言葉がありながらも、日本社会は、ヒトやモノに対して、完全さを求め続けてきた気がする。
少しでも規格からズレたものはB級品。その勤勉さで作り出し、選別する日本クオリティのモノは世界から誇る、完璧さの極みだ。
そして、ヒトに求める完全さは、社会に充満して、わたしたちを苦しめる。
ちゃんとしないとダメ
自分はまだまだだ
いつも欠けたものに目を向けて、自分を責めてしまう。欠けていても、いや、欠けているからこそ、美しいのに。
欠けたままでも美しい
欠けたままでもいい
そう自分のことを認められたら、ずいぶんと生きやすくなるのに。
まんまるになろうとして、かけてる部分を隠して婚活するよりも、足りないものを埋めるように学びまくってビジネスするよりも、欠けたままで進んで行った方が、人間らしいし、自分にあう人に会えるのに。
婚活に悩んだり、ビジネスに悩んだりする人たちの顔を思い浮かべて、思った。
茶道やわびさびの話から、いろいろ考えてるうちに、ずいぶん飛躍してしまった…。
こんなふうに、頭の中で抽象化、転用をぐるぐると、考えているわたしにとって、思考から抜けて、イマに没頭できる、お花との対峙がなにより好きな余白時間。
バレンタインをテーマに花束を作るレッスン、というわけで、わびさびから学んだ乱雑で不完全な美しさを表現。
アレンジの題名を「不完全な愛」と名づけたら、怖いからそれ以上、ストーリーを語らないで、と言われたお花を貼り付けておく。
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