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たった一つの出逢いが人生を大きく変える

前職を辞めて約二週間、様々な出逢いがあった。
しなければいけないことから解放されて自由さを得たことで、本当に多くの豊かさがもたらされる。
それまで見えていなかったことが見え、より自分の五感に敏感に、そして心に正直になれる。

そんな私は、最近では以前にも増して心が赴くままに行動するようにしている。
朝起きてまず、”最高の一日になる”と宣言をすることから始まる。
そして自分が今どんな気分であるか、心に問いて、体の状態を見て、
その日したいことを決める。



最近のお気に入りは浜辺で読書。

裸足になって地を感じる。

自然と繋がり、自分と繋がるこの感覚がとても好きだ。
私たちは常に自然と一体であって、全体は個、そして個は全体。




そんなある日、一杯のコーヒーを口にした瞬間、
すでに最高の一日になったなと自分がものすごく満たされる感覚を得た時に、ふと思い出した言葉があった。





「自分を苦しめていたのは自分自身だった。」


9年ほど前、福岡のカフェで働いていた時に
当時の会社の社長がぽろっと口にした言葉だ。

この言葉が、私に大きな気づきをもたらし、
自分自身と向き合うきっかけをくれたのだった。

そして現在までに至る、長きにわたっての自己理解の入り口となることは、当時の私は予想だにしていなかった。

昔から考えることが好きというか、癖になっていた私は大人になってからも変わらず、むしろ人間の心理に対する興味が深まっていくばかりだった。
これが心理学であることも知らなかった当時の私。
ただ、大学生の頃に友人宅で読んだ本、”ニーチェの言葉”に興味を持ったことで自分は哲学に興味関心があることを知った。

哲学って?

人生や世界、宇宙の本質を論理的な思考や原理によって解明しようとする学問


そんな私だが、相手の心の状態や動きを見るのが癖付いていた一方で、
自分の気持ちや心の動きを俯瞰してみることはほぼなかった。

ー自分と向き合うってなに?
そのような状態だった。

そんな時、有難いことに当時の社長が自身の人生について語ってくれる機会があった。
社長にも物怖じせずに接する私は、それが功をなしてか何度か飲みに連れてもらっていた。
彼自身の過去や経験について振り返り、当時の大切な気づきを共有してくれたのだった。
完璧主義で向上心が強かった彼は学生時代にアメフトをしており、海外まで行くほど打ち込んでいたそう。
スポーツの世界、それが海外までに及ぶとなるときっと数多くの困難に直面したに違いない。
そんな経験を振り返りながら彼はこう言った。

「うまくいかなくて落ち込んだ時、自分を苦しめていたのはコーチや仲間、他の誰でも環境でもなく、自分自身だったんだって気付いたんだよね。そこから自分が変わっていったんだ。」

その一言に衝撃を受けた。

ー大学生というそんな若い年齢でその気づきを得られるの?

ただただ、衝撃でしかなかった。
そして私なりに、その言葉を解釈してみた。


ーなるほどな。何かに行き詰まった時、主観に囚われずに客観的に自分を見ることが大切なんだ。それが自分と向き合う時には必要なんだ。
そう気付かされた瞬間だった。


”客観的に自分を見る”

その重要さが分かっても、頭で理解するのと実際にやるのとでは話が違う。
そこから私は自分と向き合うべく、知り合いも誰もいない地へ足を運んでは、自分と向き合う一人きりの時間を作り、自分に対する理解を深めようと試みた。

というのも、当時の私は自身について、
ある悩みを抱えていたからだった。

当時勤めていたカフェでは半期に一度、第三者レビューというのがあった。
自身の半期を振り返っての自己評価、上司からの評価、そして共に働く仲間からの評価を匿名でされるというものだった。
アルバイトも社員も関係なく、ランダムに社員を評価する、そのような仕組みだった。
(但し、アルバイトが評価をされることはない。)
その第三者レビューが私はとてつもなく嫌いだった。
なぜなら”匿名”で誰かを評価をすること自体がフェアじゃないと感じていたからだ。

”共に働く仲間が楽しく働くこと、そのための環境を作ること”
店長でもなかった私は、それが誰かと一緒に仕事をする上で一番大切なことだと心で感じ、実行していた。
これに一番重きを置いていた私だったが、もちろん全員が全員、私の想いと合致しているわけではないし、そもそも私の暑苦しい性格や勢いのある行動を好きとは限らない。
当たり前だ。
普段は笑顔で接していても、そこでは言いたいことを言う。
普段直接その人に言えないことを、レビューにつらつらと書く。
そんな人もいた。
初めて辛口の評価をもらった時はショックだったが、そこに愛のある言葉、想いも添えて書いてくれている人もいた。
愛があるからこそ、厳しい言葉をくれた。
とても有り難かった。
ただそういう人ばかりではないのが世の中だ。
本当はそういう風に思っていたんだ…と知り、驚きとショックを隠せない自分がいた。

受け取り方も人それぞれ。
いくらみんなの為にやっているつもりでもそう伝わっていないこともある。
そこには自分のエゴもあるし、何よりも強い承認欲求があった。
が、それに気づくのは、かなり後になってからだった。
当時の私は気づいていない。
完璧主義で、責任感も人一倍強かった私はこの事実を受け止めるのがつらかった。苦しかった。
愛のある有難い意見は受け止めて、自分の成長に活かすとしても、他は?
検討もつかなかった。
匿名といえども書き方や物言いで誰かは見当がつく。
今後どうやってその人と接すれば・・・?
そんな思いがぐるぐると頭の中を駆け巡り、半ば人間不信になりかけた時期もあった。
そして同時に、人は誰もが自分のように正直でいてくれているわけではないのだな、そう強く心に感じ、それを胸に刻んだ。

それでも私は自分にも他人にも正直でいたかった。
むしろそういう生き方しかできない。
自分と違う生き方をしている人とどう接すればいいのか、わからなくなっていた。

弾丸で広島へ渡り、自分と向き合う時間を作った。
宮島で鹿に癒され、行きたいカフェやお好み焼き屋さん、牡蠣バーを巡り、とにかくしたいことをしまくって、自分を癒しながら思いに耽った。

が、解決策を見出せないまま。
自分は以前と変わらず接するも、特定の人とは一定の距離を取るようになっていった。
表面上の付き合いに留め、深く付き合うことに踏み出せない自分がいた。


”信用が欲しければ、まず自分が相手を信用する”
”心を開いて欲しければ、まず自分が相手に心を開く”

そんな私のモットーが崩れかけていた。


周囲から認められたい、自分を価値ある存在として認めたいという願望

自分が相手に何かをすることで得られるこの承認欲求が強かったことに、当時は気づけていなかった。

一緒に働く仲間にただ、楽しく笑顔で働いて欲しかった。
その一心で仕事をしていた私は、相手の受け取り方について考え、”伝えること”と”伝わること”の違いを強く認識した。
自分には想いがあるが、伝え方がいつも直球。
それ以外の方法を知らなかった私はコミュニケーションについてより強く関心を持つようになった。
改善し、とにかく自分自身をより良い方へと変えたかった。

とはいえ、やり方がわからなかった私。
自分と向き合う時間を作るも、がむしゃらに行動するのみで、振り返りをすることも本当の意味で”自分と向き合う”ことの意味もわかっていなかった。


それから数年が経ち、そんな私を変えてくれたきっかけ、ご縁はたくさんある。

ある本との出逢い、人との出逢い、コーチングとの出逢い、環境との出逢い、様々だ。
どれも必要な時に、必要なことが自分にやってきていた。

だからこそ言える。
そして当時、一人でずっともがき続けて
沼から抜け出せずにいた自分に伝えたい。

起こることはすべて必然で、最善だと。

大丈夫、あなたの身に起こることはすべて必要なタイミングで、あなた自身と人生をより良い方向へ導くために起こっている。
あなたにしか乗り越えられないことだからこそ、今のあなたに起きている。
その時どんなにつらくても、その先にずっと明るく輝かしい未来が待っている。
そう信じて、自分を信じて、突き進んでほしい。



私がこのブログを始めた理由、
赤裸々に自身の人生を晒す理由、
それは、この広い世界で、本当にいろんな人がいる中で、こんな考えを持って生きている人もいる、こういう経験をしている人もいる、そんな一つの考えや事実を知ってもらうことで、誰かの人生を豊かにするきっかけや、心の励みに繋がればいいなと強く願うから。



私の人生の最大のゴールは世界平和。
そのために必要な愛を増やし、
この世を愛で溢れさせること。
そして愛を持って生きる人を増やすために、
自らの愛をどんどん周りへ広めていくこと。
これが私の使命だと思っています。

愛がこの世界を変える、
本気でそう信じています。


この想いがたった一人でも、
誰かの心に響いてくれたらそれ以上のことはないと思っています。

たった一人の力だけれど、それが二人、三人と広がり、やがては大きな力と、大きな愛となることを心から願っています。
そしてそうなるように、動いていきます。
行動します。
私の大好きなハチドリのように。




そして最後に、つい最近起きた出来事を。

数日前、道端ですれ違ったある外国人。
長身ですらっとしてスタイルの良い、いわゆるイケメンの欧米人。
一般的に広くイケメンとされるものに私は疎く、正直興味もあまりないが、彼の堂々とした歩き方や雰囲気、オーラには惹かれるものがあって、一瞬にして目を奪われた。
観光客が足を運ぶエリアから外れていたので珍しいな〜なんて思いながら、また会えるといいなと思っていた矢先、たまたまふと開いた、いわゆる出会い系アプリで彼と出逢ったのだった(オンラインでの再会)。
元々外国人の友達が欲しかった私は、外国人の在住率が低いここ青森では見つけるのが難しいと感じ、出会い系アプリを使うことがしばしばあった。
英語を話す機会が欲しい、そして他国の文化や価値観を知るべく様々な人と出逢いたいからだ。

なんとそこで、彼と再会し、繋がったのだった。
ルーマニア出身のガブリエル。
5月の中旬から日本を旅行していて二ヶ月ほど日本に滞在する予定だという彼。
特に予定を作らず、とにかく温泉好きな彼は全国各地の温泉・サウナ・自然巡りを目的としながら自由気ままに旅をしていた。
九州から思いつきで北海道へと渡り、札幌、函館、そして青森へとやってきていた。

「もしかして、道端ですれ違った?」
そんなやり取りから始まり、

「You cought my attention for sure.
君は間違いなく僕の注目を引いたよ。」

独特で素敵だったから、という彼。
海外の人のそんなストレートな表現が私は大好きだ。

そんなかんこなでやりとりを始めて意気投合し、直接会うことに。
出会い系アプリというと目的が様々なので、私は事前に明確に自分の求めるもの、そして求めないものを彼に伝えた。
彼の目的は私と違い、完全に自分の特定の欲求を満たしたいというものだった。
が、実際に会ってみると様子が違った。
年齢は私より3つ上の37歳だがなんとなくピュアな感じでぎこちない彼。
おやおや?と思いながら話を進め、お互いの仕事や恋愛の話、そして人生観についても語り合った。
この歳になると求めるものが明確で、お互いにそれを共有しあった。
時折、真っ直ぐに瞳を見つめてくる彼。
彼の目的はわかっていた上で、強く線引きをしたままの私。
夜が深まり、なんだか様子が変な彼にどうしたのかと聞いた。
実は彼は、それまで自分の欲求を満たしたことが一度もないという。
彼は厳格なクリスチャンだった。
結婚するまでは体を重ねることは許されないという。
だから10歳に初めてポルノを観た時から、自分の中でその欲求、いわば本能的に行動したい自分とクリスチャンであるというある人格の自分と常に闘い続けてきたという。
何人かと交際するも、そこは頑なに断っていたという。
驚いた。
こんなにも長い間、自身の欲求に抗い、信条を貫き続けてきた人と初めて出逢った。
宗教や文化は深くその人に根付くものなのだと、海外の人と交流する度に深くそう感じる。

そんな彼だったが私と出逢い、それまでの価値観が180度変わったというのだ。
四六時中考え続け、囚われていた彼の欲求、いわば呪縛のようなものが一瞬にして一掃されたというのだ。

なんてこった。


「Congratulations!」
思わず祝福の言葉が出た。

私と直接会って会話を重ねるまでは
「1週間でもそれ以上でも僕らの相性が良くて一緒にいたいと思えばここに長く滞在するし、その後一緒に沖縄へ行かないか?」
と言っていた彼。
(石垣島にずっと行ってみたかったという)

そんな彼が翌朝になり、
「君と出逢って僕の価値観がまるっきり変わったよ。今僕は、君がかつて経験したような深い繋がり、関係性を誰かと築きたいと思うんだ。馬鹿げた欲求に自分を支配されるのではなくてね。真実の愛が欲しいんだ。」
そう言ってきたのだった。

そして同時に、こう言った。
「君と一緒に時間を過ごせば過ごすほど、状況が複雑になる。それはつらいだけだ。約10,000キロ以上も離れた地で遠距離恋愛はできない。だから国に帰るよ。今はもう、石垣島へ行くことも、他の行きたかった温泉地巡りも興味がなくなったよ。君は僕の人生を大きく変えてくれたね。」

彼は泣いていた。

「それは良い方向へと?」
と尋ねる私に

「もちろん。」
と答える彼。


「色々と、ありがとう。ほんとうに。」

カタコトの日本語で最後にそう伝えてくれた彼。
そして私たちは連絡先を交換することなく、ハグをし、さよならをした。

というのも、彼は私と直接会った瞬間にその出会い系アプリを削除していた。
”君ほどオープンな人には出逢えないし、君に出逢えただけで満足。僕たちがうまくいくかいかないかは関係ない。ただもう必要ないんだ。”とのこと。

彼に対して恋愛としての”愛”はその数日間で芽生えなかったが、彼がオープンに自分のことを話してくれた後に好意を寄せ始めた自分がいた。
今まで誰にも話したことがないことを、
彼は会ったばかりの私に打ち明けてくれた。

「僕は、おかしいかな?」と気にする彼。

「全然、おかしくないよ。むしろ美しい。
正直になってくれてありがとう。」


人は、自分にも相手にも正直になって初めて真の関係が築き始めることができる。

良い友達になれたのではないかと思う反面、
ご縁があれば、この世界のどこかでまた会えるでしょう。
そう思う自分もいる。


彼が真実の愛を見つけることを心から願うと同時に、私も自分自身に誓った。

”真実の愛を諦めない”



「We were meant to meet.
僕らは出逢うべくして出逢ったんだ。」

彼の放ったこの言葉に、私も深く同意する。

たまたま道端ですれ違い、そしてアプリで再会した私たち。
すべてのタイミングが重なり、私たちは巡り会わされた。

彼との出逢いは私にとっても
とても意味のある、重要なものだった。
そして改めて、大切なことを認識させられた。

ありがとうガブリエル。
起こること、すべて必然で最善だね。

改めてそう強く心で感じさせてくれた彼に感謝の気持ちが溢れると共に、
彼の人生に何かしらの良い影響を与えられたようで、とても嬉しくなった。


誰かの人生やその人自身を変えたい、より良い方向へ導きたいなど、そんな大それたことは思わない。
だって自分を変えられるのは自分自身だけだから。

ただ私は、自分の存在や経験、そして自分の発する言葉によって誰かの人生やその人自身に何かしらのプラスの影響を与えられたらと思っている。
より良い方向へと変わりたいと、自身でそう思えるきっかけを、私と関わることで持ってもらえたら嬉しい。
そう強く思っている。
これは仕事においてもプライベートにおいても、
昔からずっと、20年以上近く思い続けている。

そしてそこには紛れもなく、愛が必要。
だからこそまずは自分が愛を持って相手と接すること、そしてそれが常にできる自分であるよう、
自分の在り方が愛のそのものであれるように、
自分を愛することがとても大切だと伝えたい。


Self-Love


これが自分の中に確立されれば、
人生は大きく変わる。
どんどん、より良い方向へと導かれ、
どんな道も歩んでいける。

大丈夫、すべてうまくいく。

その様を、私の実体験を持って伝えていきます。




より多くの人がSelf-Loveで満たされますように。
そしてこの世が愛で溢れますように。


私と出逢うすべての人へ、
心からの愛と感謝を込めて。



With love and gratitude

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