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脳のワーキングメモリとメタファー

私が作るゲームは最低限日本語と英語に対応させたいので、ゲームのプロットやセリフの一部を考える時、日本語と英語の両方で書かなければなりません。
日本語と英語は文章構造がところどころ逆になっていて、翻訳すると前後が入れ替わってまるで倒置法のようになることがあります。

例えば

・Our ship sat the wrong course and headed India.
・私たちの船は間違った針路を取りインドへ向かった。

これは問題ありませんが、

・I'm eating an apple in the morning as I contemplate about the assassination of Franz Fredinand.
・朝、わたしはりんごを食べている。フランツ・フェルディナントの暗殺についてじっと考えながら。

とか

・久しぶりに両国の駅で降りた時、自転車に乗った力士がサッと通り過ぎていった。
・A sumo wrestler on bicycle breezed past me when I stopped at Ryougoku station for the first time in a while.

英語ができると思われているので、たまに即興の通訳を頼まれることがあります。日本語だけ喋っている時(当たり前)や英語だけ喋っている時は問題ありませんが、日本語と英語が混ざると急に混乱して何もできなくなります。そもそも言語には「自然な」流れというものがあって、私たちが言葉を喋る時はいちいち次のセンテンスを考えているわけではなく、マルコフ連鎖のような単純な過程で半ば無意識に言葉を繋げているのではないかと思います。
スラスラと通訳してもらえると思って笑顔の知人を前に

「ええと……あれ、なんか彼、なんか友達のパーティの準備してるらしいんだけど……あれ、ほら!」

つっかえつっかえ言葉を吐き出す時のあの感覚、期待に溢れていた知人の顔が強張っていくあの感覚はサイアクです。同時通訳の人は一体どんな訓練を積んでいるのか、想像もつきません。

人間の思考回路には中長期記憶と短期記憶があると思われます。コンピューターで言うなら短期記憶はワーキングメモリやGPUのVRAMに相当し、少し前の記憶は次から次へと掃き出されていきます。
しばらく英語で読み書きしていると独り言や思っていることも英語になってきます。そのまま寝ると夢の中でも英語で喋っていますが、逆に日本語の本を読んだりネットを見たりすると頭の中が日本語モードに切り替わります。
いつまでたっても2つの言語は脳の中で接続されません。トリリンガルやクアドリンガルの人は一体どうしているのでしょうか?

一人でいる時の脳内はだいたい英語モードです。というのもプログラミングをしている時や、オーディオやグラフィックを扱っている時マニュアルは大体英語であるし、好きな歌を頭の中で再生していると往々にして英語の歌だったりします。そんなわけで私のVRAMの日本語メモリは上書きされていきます。その勢いのままゲームのプロットや資料を書くので、結果はお察しのようになります。

ある時、知人がカズオ・イシグロのインタビュー音声を送ってくれました。何かのテレビ番組を録音したもののようで、イシグロ氏が映画と比べた時の小説の抽象性であったり、自身の作品を作る上でのテクニックについて語っています。その中で概ね「小説は一枚の写真のようであり、そこから記憶が前後に広がっていく」という部分が耳につきました。

人間の中長期記憶は物心ついた時から長く残りますが、容量を節約するためか(?)そこには記憶が切り取られ抽象化されて保存されていきます。私は映画を一本見た後、その直後であっても最初から最後まで何が起きたか逐一覚えていることはまれです。大体、いくつかのシーン(特別重要なシーンとも限らない)とプロットの要点だけ覚えているか、最悪の場合は「斜めに撮影した構図がやたら多かったな……青緑っぽいフィルター使ってたな……」くらいしか覚えていなかったりします。見終わった直後はまだマシなほうで、それから1時間もすると記憶はVRAMから放逐され、一部だけ切り取られて脳のどこかに保管されてしまいます。同一性保持権という言葉は人間の脳にはありません。

またある時、別の知人と「Spirited Away」の話をしていました。クランチーロールで日本のアニメを見ているそうなので、「Spirited Away」くらい有名なら間違いなく知っているはずだと思って、話の中で例えに出しました。ジブリの映画は長らくアメリカで配給されておらず、「Spirited Away」はその中でもアメリカでのブレイクスルーになった作品です。ところがSpiritedナンタラが日本語で何と呼ばれているのか急に思い出せません。絵面は浮かんできます。その作品に付帯する情報も思い出せます。ほら、あの、女の子が神様の街に連れ去られる奴です。印象的な顔立ちのばあさんが出てくる奴です。何だっけ……? そうだ! Spirit awayというのは文字通り不可解な誘拐、神隠しというような意味です。やっとタイトルが思い出せました。

カズオ・イシグロの音声を送ってくれた彼は、メタファーとは残るものなのだと語ってくれました。
メタファーとは言語学で「二つの全く異なるものを比較または関連付ける修辞技法」だそうです。

私は言語学の専門家ではありませんが、子供の頃に文章解析とマルコフ連鎖のプログラムを書いて楽しんだことを思い出します。それはテキストの切れ端とテキストの切れ端を、乱数と一定の法則で(無理やり)関連付けるプログラムでした。これを大幅にパラメーターを増やして、多次元化し、いろいろな工夫を施してスケールアップしたのがディープラーニングです。現代のAIとはとても上等なマルコフ連鎖であり、人間の脳とはとても上等なAIのようにも思えてきます。

ふと、自分のVRAMからついさっきまでの記憶が上書きされて、細切れのトークンだけが半導体に残っていく様子を想像しました。今自分が書いている文章のことも2時間後には忘れているのでしょうか?

気付けば、脳内は日本語モードに戻っています。「半導体」だって!

私はやっぱり日本人なので、細かいことは忘れてお茶でも飲むことにしました。


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