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グローバリゼーションから取り残される人々(ジョブ型雇用の矛盾)

■グローバル人材の不足

ジョブ型雇用の記事の文脈では、企業がグローバル化に対応するためには世界基準の人事制度への対応が必要であり、日本型のメンバーシップ型の雇用、それに伴う年功的な給与体系では対応できないというものがある。これ自体は間違いではないだろうが、突然何の準備もなく、朝令暮改のような人事制度の変更は危険である。

いままでグローバル人材が不足していると騒いでいる状況が、突然「ジョブ型」と叫んだからと行って解決されるわけではない。むしろ、社員の造反を招きかねない。

考えてもみて欲しい、社員のグローバル化は自動的に行なわれるわけではなく、計画された育成システムの基で構築される。それがある程度すすんでおり、何らかの彼らにふさわしい人事制度が必要だという文脈でなければ意味は無い。人事制度が先にあるわけではない。

■差別の助長につながりかねない

ある日突然、中途で入社してきたA氏を「かれは、今後の我が社を担うグローバル人材である」と紹介されたらどうだろう。すでにいる社員は「わたしは、嘱望されたグローバル人材ではないんだ」と感じる危険性がある。
 「なんだ」と思い、やる気を失い会社を去るかもしれない。彼がどんな未来を作るか分からないというのに。

以前の記事を探索していたら、今話したような危惧が取り上げられていた。

○世界は、「超格差社会」の矛盾に震えている
「グローバル vs.非グローバル」が先鋭化

新たな階級区分は貧富の違いで決まるのではない。大都市の高学歴エリートと、教育レベルが低く、柔軟性に乏しく、あらゆる点でグローバル化から取り残されている地方在住者との違いにより、階級が隔てられる。そして、疎外感を抱く人たちが、怨嗟を共有している。

https://toyokeizai.net/articles/-/57308?page=2

こうした話は、地域の話だけではなく、会社内でのヒトの間でも起きうる。

■評価制度を野放しにして言い理由はない

これは、評価制度についても同じことが言える。
 通常、目標管理での評価結果は、S,A,B.C,Dのように格付けされる。そう「格付け」である。同じように頑張っているのに、彼はSで私はBであると云うことは、私は負け組で会社からは評価されていないのだという絶望感につながる。

○成果主義が「仕事ができない人」を放置する大矛盾
仕事ができる人のやる気削ぎ、揉め事も引き起こす
2022/10/20

評価分布というのは、従業員を例えばS・A・B・C・Dの5段階で評価し、最も高い評価のSは全体の何%、Aは何%というような分布のことをいう。

成果主義の色合いを強めるには、この分布の真ん中であるBの割合を高める。

これにより、少数のハイパフォーマー群(SとA)とローパフォーマー群(CとD)を浮き出たせ、例えばハイパフォーマー群には手厚い昇給を、ローパフォーマー群は昇給無し(場合によってはマイナス)、中間層(B)にはそれなりに、という扱いを施すのである。

・・・

従って、蓋を開けると、S評価とA評価を足した割合がB評価の割合と近くなり、ほんのわずかなC評価、ほとんどいないD評価、という結果になることが珍しくない。

このような結果になると、ハイパフォーマー群が希少でなくなり価値が低くなる。そして、ハイパフォーマー群の従業員にも中間層と同じ程度の昇給配分をせざるを得ないことになる。

結果、ハイパフォーマーのやる気がなくなるのである。

https://toyokeizai.net/articles/-/627051

冗談事ではなく、実態がそうなってしまう。運用面が理想に追いつかないのである。

人材像を語るのはかまわない。しかし、目標としての理想論ではなく実体の評価としてそれが紛れ込む時には注意しなくてはならない。

<閑話休題>

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