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晴耕雨読:「学習する組織」(システム思考の必要な理由:第2章 第3章)

■はじめに

 ピーター・センゲの「学習する組織」(邦題)は原書名を表していないし、誤解を招きかねない訳である。この本は、私の見る限り、企業がその競争力を維持するためのヒントを示した本である。ノウハウ本でもなければ技術本でもない。
 散文的に話題がちりばめられた本書は難解であり、その取り扱いには悩むだろう。
 そのため、まずは「学習する組織」を支える5つの原則(ディシプリン)の内、以下の四つについて対応する章について確認した。
(1)「志の育成」
・自己マスタリー
・共有ビジョン
(2)「内省的な会話の展開」
・メンタルモデル
・チーム学習
 ここで明らかになったことは、経営とは命令通りに人を動かすことではなく、個々人の尊厳の上に成り立つ組織で共有される理想像が必要であり、それを元に組織でのイノベーションを生み出す為には前提に囚われないダイアログによる発見が必要であると言うことである。

では、ひるがえってこうしたことに反する「学習しない組織」とはどんな組織であろうか?
この答えが第2章と第3章に記載されている。

■第2章 「あなたの組織は学習障害を抱えていないか?」

この章は、「ほとんどの組織が旨く学習できないのは偶然ではない」として、組織の持つ特性あるいは問題への対峙の仕方が原因であるとして、それを認識することを求めている。
それは以下の7つである。

①「私の仕事は○○である」
 わかりやすく云えば、自分の仕事を表面でしか見ていないので全体を見れないと言うことである。ドラッガーの「石工の大工」を思い出して欲しい。
 これを理解するために本書での重要部分を引用する。
「職業は何かと聞かれると、たいていの人は、自分が毎日どういう職務を行なっているかを離すばかりで、自分の属する事業全体の目的については語らない。」
「組織内の人たちが自分の職業だけに焦点を当てていると、すべての職務が相互に生み出される結果に対して責任感をほとんど持たない。」
 そのため「結果が期待外れだった場合に、その理由を理解することが非常に困難になる。「誰かがへまをした」と決めてかかることしかできない。」

②「悪いのはあちら」
 こうしたことは「私たち一人ひとりに、物事がうまくいかないときに、自分以外の誰かや何かのせいにする傾向がある」と指摘する。
 業績が上がらないことに対し、営業部は製造部のせいにし、製造部は設計開発部門のせいにして、設計開発部門は企画部門のせいにし、企画部門は営業部門のせいにする。笑い事ではない、現在世界で起きているほとんどの紛争はこの状況である。

「世界と日本」という考え方は間違っている。日本は世界の一部である。世界の中に日本がある。

「「悪いのはあちら」というのは、ほとんどの場合物語の一面に過ぎない。通常「あちら」と「こちら」はともに、一つのシステムの側面なのである。」

システムを「あちら」と「こちら」で分離している限り学習は進まない。

③先制攻撃の幻想
 相手を敵と見なした攻撃をすることを「積極的」とは言わない「あちらにいる敵」と戦うことは攻撃的ではあるが積極的と言わない。真に積極的であるとは、内面との闘いの中で自発的に生み出されるものである。
 システムを内と外と見ている限りは「受け身的」な活動になる。

④出来事への執着
 「あちら」と「こちら」で分離していることは、緩やかな変化に気がつかない恐れもある。それは、相互の利害だけで見ていれば「人々の思考が短期的な出来事に支配されて」行く傾向があるからだ。

「新聞は「昨日、第四・四半期の業績低調が発表されたのを受けて、今日のダウ・ジョーンズ平均株価は16ポイント下落した」と書く。このような説明は、その通りかもしれないが、私たちが出来事の背後にある長期的な変化のパターンに目を向け、そのパターンの原因を理解することを妨げる。」このような中では「未来を創造するための学びはおこらない」と指摘している。

⑤ゆでガエルの寓話
 ゆでガエルの寓話は今更説明する必要はないだろう。上記の”緩やかな変化に気がつかない”を再び示唆する特質への警告である。

「ゆっくりと徐々に進行するプロセスを見ることを学ぶには、私たちの猛烈なペースを緩めて、顕著な変化だけでなく、わずかな変化にも注意を向ける必要がある」

しかし、注意も必要である。それは出来事によって変化の起きる速度は異なる上に、長すぎる時間は結果を体験できないこともあり得るからだ。それが次の⑥につながる。

⑥「経験から学ぶ」という妄想
 本書はこう問いかける。
「行動の結果を監察できないときには何が起きるだろうか」
「行動の結果が表れるのが遠い先のことであったり、私たちの営みを含めた、より大きなシステムの遠く離れた部分であったりする場合はどうなるだろう」

こうしたことを理解する一助として第3章で紹介される「ビールゲーム」の話があるがここでは予告だけにとどめておこう。その代わり、核心となる部分の引用と格言を示す。

「私たちにとって最善の学習は経験を通じた学習なのだが、多くの場合最も重要な意思決定がもたらす結果を私たちが直接には経験できないのだ」

 これは何を意味するのか。一つは、私たちは決定したことが正しいとは証明できないこと、すなわち「可謬主義」に向き合うこと。もう一つは、部分で最適であっても全体システムでは機能不全を起こすリスクがあること。なぜならば「未来はわからない」あるいは「未来がどこに在るか分からない」からである。

⑦経営陣の神話
 それでも、組織の最適解を探して奮闘する集団がいる。これを「経営陣」と呼ぶ。
 しかし「彼らの本能が命じるのは、今までのやり方を疑うことではなく、ましてや、そのやり方を変える能力を育むことではなく、そのやり方を今まで以上に強く守ろうとすることなのだ」、そして「大抵の経営陣は圧力を受けて崩壊する」と指摘する。

こうした「学習しない組織」から脱却するための処方箋が学習する組織の5つにディシプリンであると主張する。

すでに、前回までに4つのディシプリンについて話をした、では残る「システム思考」をどのように考えるのか。それが第3章につながる。

■システムの呪縛か、私たち自身の考え方の呪縛か

第3章の最初は「ビールゲーム」の話である。登場人物は、小売店、卸売業者、ビール工場だ。以下のような状況下での出来事を解説している。

・週に1度、トラック運送業者が店の裏口にやってくる
・あなた(小売業者)はその業者に、その週の注文数を記入した用紙を手渡す
・トラック運送業者は、他の店を回った後、ビールの卸売業者にあなたの注文書を渡す。
・卸売業者はそれから注文処理を行ない発注処理を行なう
・そろった注文をあなたの店に出荷する。
・通常、注文には平均4週間の遅れが生じる

つまり、来週欲しいと注文しても来るのは1ヶ月後である。来週来るのは1ヶ月前の注文である。問題は、こうした受発注の伝達は個別の伝票だけであり、全体量は誰にもわからないと云うことだ。さて、これは何を引き起こすのか。

一言で言えば、突然在庫が過剰になり、そのプレイヤーも被害を被ると言うことに尽きる。
だれも「悪くない」のにである。

「まず、満たせないほどに需要が増加する。システム全体で注文が増えてゆく。在庫が底をつく。受注残がたまる。そして大量のビールが一斉に届くが、その一方で入ってくる注文量が突然減少する。この実験が終わる頃(第24週)には、ほとんどすべてのプレイヤーが、裁くことができない大量の在庫を抱えて座っている。」

この辺の数字的な動きに関心がある方は、中野に連絡して欲しい(ysnakano@gmai.com)
数字の動きを追いかけられるようにExcelでまとめてある。

教訓めいたことはいろいろあるのだが、第3章の中核となっているのは「システムの構造」である。システムの構造は部分システムの事ではなく社会システム全体の構造のことを指す。この構造の理解無くしては、なぜ今そんな事態になっているのかを理解することはできない。

構造の理解がなければ「同じシステムの中に置かれると、どれほど異なっている人たちでも、同じような結果を生み出す傾向がある」ことをこのビールゲームは示す。

この章の多くの説明は、このビールゲームについての教訓の記載である。しかし、「なぜ構造の説明が非常に重要かと言えと、それをもってしか、挙動パターンそのものを変えられるレベルで、挙動の根底にある原因に対処することができないからだ」と指摘されるように、構造の理解がなければ第2章で危惧したような「目の前の出来事重視」の公道となり、それは「出来事中心の思考法が優位を占める組織の中では、生成的学習を継続できない」という文脈につながるのである。

■次回に向けて

生成的学習のためには「出来事中心」ではない思考方法が求められ、そのためには「システムの構造」の理解が必要であるとの第2章、第3章の結論である。では、その構造を理解するとは何か。

これが、第Ⅱ部 「システム思考 「学習する組織の要」」につながってゆく。
次回からの読み解く部分となる。

<続く>

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