【元統一教会信者が語る!】宗教の献金って何なの?(宗教と依存症 vol.2)
宗教で献金するとき、信者の人たちはどんな心境でしているのでしょうか?
特別な信仰のない日本人には理解できない感覚ですが、この文章を読めば少しは身近なものに感じられるかも!?
元統一協会の信者が説明しますね。
献金って何なん?
献金の話がメディアで連日のように取り沙汰されていますが、、、
献金はそもそも自主的なものです。
信者も嫌だったら、生活が成り立たないなら払う必要ないです。
むしろ喜んで、自ら支払っている現実がある。
ボクも自分の意志で、喜んで払っていました。
どうしてそんな事をするのでしょうか?
どんな心理状態なのでしょうか?
一点注意してほしいのが、献金=お金を払うという感覚ではありません。
「奉納する」感覚です。
お金が自らの身体の一部であり、身を以て捧げる意識に近いです。
どう使われようと構いません。
私の好意で差し出したものであり、好きに自由に使ってください。
言葉にするとそんな感じ。
ましてや組織から強制される事なく、生活が破綻するまでの金額を献金するのは、お金を宗教団体に支払っているのではなく、神さまに献げている(貢いでいる)感覚だからです。
プレゼントや寄付、募金とも性質が異なるので、そうした経験が無い方には、理解できないと思います。
けれど、度を過ぎた金額まで捧げてしまうのはどうしてでしょうか。
ちなみにボクは、生活が破綻するくらいまでの過度な献金はしていませんでした。
だって、、、現実的に生活できなくなったら仕事にも行けないし、ご飯も食べれません。
統一教会には信者の実生活の相談役の班長という役割の人たちがいて、個人の生活状況を把握してくれていました(20年前くらいの話なので現在はどうか知りませんが。。)
手取り額なども知っているので、無理のない範囲で相談し決めていました。
班長から多額の献金をするよう脅迫まがいの言葉をかけられたことはありませんし、当時の知人の信者たちからもそのような相談を受けたことはありません。
世界平和のために、重要な摂理(案件・プロジェクトみたいなもの)の時はみんなでいつもより献金頑張ろーなんて時もありましたが…
ボクは基本的に実生活ベースで金額設定していました。
ならどうして生活が破綻するまでの献金を行うのか?
そこには依存症の問題が見え隠れするのですが、、、次回お話しますのでお楽しみに。