【竜とそばかすの姫】

息ができた、その小さな画面の中では。

【あらすじ】

50億人がすれ違う
美しくも残酷な仮想世界。
ベルの歌声は世界を変える――

自然豊かな高知の田舎に住む17歳の女子高校生・内藤鈴(すず)は、幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。
母と一緒に歌うことが何よりも大好きだったすずは、その死をきっかけに歌うことができなくなっていた。

曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日、親友に誘われ、全世界で50億人以上が集うインターネット上の仮想世界<U(ユー)>に参加することに。<U>では、「As(アズ)」と呼ばれる自分の分身を作り、まったく別の人生を生きることができる。歌えないはずのすずだったが、「ベル」と名付けたAsとしては自然と歌うことができた。ベルの歌は瞬く間に話題となり、歌姫として世界中の人気者になっていく。

数億のAsが集うベルの大規模コンサートの日。突如、轟音とともにベルの前に現れたのは、「竜」と呼ばれる謎の存在だった。乱暴で傲慢な竜によりコンサートは無茶苦茶に。そんな竜が抱える大きな傷の秘密を知りたいと近づくベル。一方、竜もまた、ベルの優しい歌声に少しずつ心を開いていく。

やがて世界中で巻き起こる、竜の正体探しアンベイル。

<U>の秩序を乱すものとして、正義を名乗るAsたちは竜を執拗に追いかけ始める。<U>と現実世界の双方で誹謗中傷があふれ、竜を二つの世界から排除しようという動きが加速する中、ベルは竜を探し出しその心を救いたいと願うが――。

現実世界の片隅に生きるすずの声は、たった一人の「誰か」に届くのか。
二つの世界がひとつになる時、奇跡が生まれる。



わたしの地元は、すずと同じように田舎で、閉鎖的で、いや、この世界よりももっともっと、狭いコミュニティだった。
中学生のころ、周りには携帯電話やスマホを持っている人はほぼいなかったし、PCに触れている人もあまりいなかった。
わたしは中学一年生でそこそこのいじめを受けていたので、学校にいかず、そんなわたしがたどり着いた先は、この<U>のようなインターネットの世界だった。

わたしは、自分の本名とは一文字もかぶらないHNを使って、両親の携帯を借りて盛りに盛った加工をした写真を使って、インターネットの世界を泳ぐ日々だった。
誰もいじめられている、惨めなわたしなんて知らない。
学校に行こうとすると起き上がれない、吐いてしまう、親に心配をかける、何もないのに泣けてきてしまう、かっこ悪いわたしなんて、誰も知らない。
年齢だって嘘をつこうとすればつくことができて、なんにでもなれると、本当に信じていた。
小さい画面の向こう側に、私は確かに、すずと同じように、違う世界を、もうひとりの自分を見ていた。

以前違うnoteの記事に書いたが、わたしは配信アプリでいま配信をしている。
もちろん、これも名前も本名とは全くちがうものにして、アイコンは自分の顔ではなく、イラストにして、
ほかのユーザーの想像力に任せている、架空の「キャラクター」(わたしはそれを、綺麗なフィクション、と言っている)を作り出している。
配信アプリと書いたものの、配信アプリに限らず、わたしはソーシャルメディアを数多く更新しているし、
そういう意味でわたしは結局、いつまでたっても、もうひとつの世界を手放すことはできていないのだな、と想う。
理想の自分は、自分の都合の良い部分だけを切り取っていくことができる。
普段は言えないような綺麗ごとも、地味な毎日の端っこも、彩度をあげて加工すればそれは素敵な一枚の写真になり、
ほんの少しいつもの自分よりも丁寧になることで、わたしは配信アプリで背筋を伸ばして話し続けることができる。
…時々、それがあまりにも脆くて、どうしようもなく不安になって、もっと生身の自分が美しかったら、なんて想ったりもする夜を超えながら。


映画の内容に戻ると、もちろん作品としてわたしはとても好きだった。
圧倒的な映像、曲がとても素晴らしくて、あれからずっとSpotifyでサントラを聞いている。
曲の歌詞も気になっていたので、歌詞と照らし合わせながら作品を思い出して、口ずさんでしまう。

そしてわたしは、すずがうらやましい。どうしたってうらやましい。
感動してあふれる涙の中に、どうしたって汚い、そういった気持ちが滲んでしまった。
でもそうして、自分のネガティブな部分が、ものすごく刺激されてしまって、手放しに「よかった」ということができない、そんな自分もすごく嫌だ。

わたしには「何も」、本当に「何もない」のだ。
あったとしても、そこには「自信のない」「見た目の悪い」「性格の悪い」「長所のない」現実だけがそこにあって、
すずは自信のない、そばかすあだらけの(ベルと比べると、見劣りのするビジュアルの、という意味で)醜い顔で、
そんな女子高生がインターネットの世界を風靡し、自分の本当の姿を見せなければいけない、そして見せたとて、世界は(おそらく)好転して、そんな彼女を包み込む光は、そのまま優しい。
だってそんなこと、わたしには、きっと一生訪れない。

すずには「歌」がある。
もちろん欠けている部分だってあるんだろう。それは自信であったり、家族であったり、いろんな形で。
それでも、わたしはどれだけ長い時間この「もうひとつの世界」にいても、何もないのだ。
そしてもしこの「わたし」を投下したとて、いままで積み重ねてきたものは、たぶんいとも容易く崩れていってしまう。
だから、わたしはどうしたって、キラキラと輝くそのスクリーンから目をそらしたくなってしまっていた。


…と、マイナスなことばかり書いてしまったけれど、そんな世界だからこそ起こりうる奇跡だってたくさんある。
ああ、目の前にあるこの世界がつらいとき、もう一つの世界がある、という逃げ道は、どれだけの人の「拠り所」になっているんだろう、と改めて思い知って、
やっぱりだから、この世界が好きだなと自覚した。
勿論限度や、使い方を間違ってはいけないけれど、中学生の頃のわたしのように、
目の前に広がるものが「すべて」だと想っている人に教えてあげたい。
あなたが想う以上に、世界は作り出すことはできるよ、もう一つの世界があるよ、と。
そういう映画だった、とても。


わたしの世界、もうひとつの世界。
どちらであっても、わたしは深く、深く息がしたい。
願わくば、ありのままの自分で。

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