【明け方の若者たち】

青とピンクが混ざった嘘くさい空が、遠のいていって今日がはじまる。

【あらすじ】
「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑?」
その16文字から始まった、沼のような5年間-。

東京・明大前で開かれた学生最後の退屈な飲み会。
そこで出会った<彼女>に、一瞬で恋をした。
下北沢のスズナリで観た舞台、高円寺で一人暮らしを始めた日、フジロックに対抗するために旅をした7月の終わり・・・。
世界が<彼女>で満たされる一方で、社会人になった<僕>は、〝こんなハズじゃなかった人生″に打ちのめされていく。
息の詰まる会社、夢見た未来とは異なる現実。
夜明けまで飲み明かした時間と親友と彼女だけが、救いだったあの頃。
でも僕は最初からわかっていた。
いつか、この時間に終わりがくることを・・・。


夕焼けよりも朝焼けが好きだ。
中学生の頃から、眠れない夜が何度もあったけれど、もう朝になってしまったと絶望する心も、明け方の空の色に溶かされていく。
大学生くらいから朝まで飲み明かすたびに、もうこんな時間か、絶対に次はこんな時間までは飲まないぞ、と誓うのに、結局はどこかで「朝まで飲んだぞ」、のような達成感を味わおうとしてしまっているのだと想う。

主人公の2人に名前がないのが印象的だった。
『僕』と『彼女』の話なので、具体的な名前がないからこそ、自分ごとしやすい映画だと想いながら観ていた。
みんながどこか『僕』や『彼女』を心の中に飼い鳴らしていて、そういう弱い部分があるんじゃないのかなあ、なんて、どちらかといえば『僕』よりのわたしがいた。

僕の、つまらない飲み会を、なんとなく内定してしまった一応は志望していた会社も、それが日常に溶けて行って、平凡が怖くなる感覚はわたしにもあった。
わたしも「何が」というものはないのに、特別だと想いたかった時期がある、自分のことを。
勿論そんな、特別な出来事は一ミリもなくて、日々淡々とした毎日を過ごすことに落ち着いていて、それが愛しいといまは想えるけれど、そういう時期もあった、確実に。

これはよく想うのだけれど、特別な人の傍にいたとしても、その人自身の価値があがるわけではない、ということを知らない、もしくは見て見ぬふりをする人が多いと想う。
「俺の知り合いが○○で」「わたしの先輩が○○で」という言葉、その先には某芸能人の方だったり、インフルエンサーの方の名前が並んだりするのだけど、だからといってそれを教えてくれた本人の価値も、平凡さも、上がるわけではない。
すごいのはその先の人達なのに、という言葉はぐっと飲み込む。
飲み込むけど、結局わたしも、そうやってまるで自分も特別かのように話していた時期があるので、わたしも結局はそっち側の人間なんだな、と凹んだりもするのだ。

なんでもない、少し煤けた日々の中に、恋が芽生えて、それはとても魅力的で、刺激的で。ある種の背徳感も含めて、きっと真夜中の暗い夜に堕ちていくようで、でも二人なら怖くはなくて。
それでも、緩やかに訪れた終わりの果ては、明け方の色をしている。
そんな、感情と共に移り行く色が切ない映画だった。

この映画は映画館などではなくて、アマゾンプライムで観た。
深夜にウォッチパーティーのリンクを作成して、チャットを送りあいながら観た。
見終わって、なんだか物悲しい気持ちになりながら、しっかりとスピンオフの『ある夜、彼女は明け方を想う』までしっかりと観る。

二つを見終わる頃には夜も明けていて、それこそ、この作品のタイトルと同じ、明け方になっていた。
その明け方の空を、私はカメラに収めながら、いまのわたしにとっての特別は、月に何回かある、こういう日なんだと想う。
次の日の予定なんて考えず、ただ深夜に映画を観て、お酒を飲んで、だらだと過ごして、お昼まで寝る。
そんな日が特別になった現在、それを特別だと想える私、そんな夜を特別にしてくれる人がいるいまが、どうしたって愛おしいのだ。

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