【シャイニー・シュリンプス!世界に羽ばたけ】

たった一人で大切にしていたものを、あなたが大切だと言ってくれたから。

【あらすじ】
歌とダンスが大好きなお騒がせ水球チーム《シャイニー・シュリンプス》は、ゲイゲームズ出場のため開催地【東京】を目指す。…はずが、なんと乗り継ぎに失敗し、ゲイ差別が横行する異国の地で一晩を過ごすことに。
危険な街だと知っていながら、それでも楽しい時間を過ごそうと夜の街に繰り出すメンバーたちは、やがて大騒動に巻き込まれてしまうのだった!
さらに、メンバーそれぞれが抱える悩みや秘密も明らかになり、仲間の絆が試されることに。
果たしてシャイニー・シュリンプスは、一致団結し、無事に東京にたどり着くことができるのか__!?

補足で、前作のあらすじは下記だ。
50メートル自由形の銀メダリスト・マチアスは、同性愛差別発言によって世界水泳大会への出場資格を失ってしまう。再び資格を得るために出された条件は、3ヶ月後にクロアチアで開催されるゲイゲームズ出場を目指すゲイの水球チームのコーチになること!?
渋々引き受けたマチアスが対峙したのは、一癖も二癖もあるメンバーが揃う弱小チーム「シャイニー・シュリンプス」だった。適当にやりすごそうと考えていたマチアスだったが、悩みを抱えながらも大会を通して自分らしさを表現しようとするメンバーたちに、少しずつ心を開いていく。
愛娘ヴィクトワールの後押しもあって真剣に向き合うようになったマチアスに応え、チームは次第にまとまるように。
なんとか予選を通過できたものの、クロアチアに向かう道中、メンバーが仲間割れをしてしまうある事件が起きる。
そしてマチアスとシャイニー・シュリンプスのメンバーには、思いもよらない悲しい現実が待ち受けていた──。


本作の日本公開は2022年10月28日となっている。ご縁があってジャパンプレミアに招待していただいて、一足先に本作を拝見させていただいた。
前作からのファンで、今回は更に主題歌にビッケブランカさんが抜擢されたと聞いて、飛び跳ねるほど嬉しかった。
ビッケブランカさんの楽曲はもう数年聴き続けているけれど、その都度都度、曲によって表情が全く違うので同じ曲でもその度に感じることが違う。
独特のメロディラインや歌詞の言葉選び、全部がビッケブランカとしての世界観がいつも詰まっていて、その世界観に触れるのが好きだ。
勿論、シャイニー・シュリンプスの前作も大好きで、なんて突拍子もなくて、自分勝手で、わがままで、どうしようもない人達なんだと思いながら、映画を見終わる頃にはすっかり彼らのファンだった。
自由奔放に見せているけれど、実はその裏で一番、目に見えない「常識」に縛られている。
その中で「彼ららしく」笑っている姿が、とても愛おしい映画だ。

映画を見て、一番は前作とのギャップに驚いた。
前作もそれぞれが問題を抱えて、それに対して乗り越えていくシーンが多く、シリアスな場面も多々あったけれど、
今回の方がずっと、もっと、そしてそれは彼ら自身の問題だけではなくて、普段見えない世の中の、でもおそらく常に蔓延っている、そういった「常識」や「普通」に押し潰されそうになるストーリーだった。

LGBTQ +や、例えばそういった映画、いわゆる「普通」とは少し違った人間がテーマになっている映画を見るたびに、じゃあその「普通」ってなんだっけ?と思う。
外見、内面、それ以外にも思想や信仰する宗教、そうったものが自分と少しでも違うものは「普通ではない」とされてしまういい加減さを、よく知っている。
でもそもそも、最近の時世的にも、普通の押しつけが逆に指を刺されるようになり、個人が、企業が、時代が、勿論それぞれの解釈の仕方で、多様性について考え始めている。
そこには例えば、性自認の話もあれば、性的思考の話もあって、その二つはまた違う話であって、TikTokなどで最近多い、メイクをしている男の子達も、少し前の時代であれば「おかま」と一括りにされることもあっただろう。でもそうではなくて、ただメイクが好きな男性もいれば、女性になりたい男性もいる。勿論男性になりたい女性もいるけれど、だからといってヘテロ(異性愛者)かどうかはわからない。

私たちは「たったひとり」なのだ。
見た目だけでは、中身だけでは判断できない、複雑な、この世にたった一人の存在なのだ。
まずその根本を理解することではじめて、多様性について意識をしはじめたい。

映画の中の彼らは「ゲイであること」(映画を見ると、それだけの問題ではないことがわかるのだけど、あくまでここではそう書いている)が故に悩み、苦しみ、何かを諦めて、他人に傷つけられている。
性的嗜好が同性愛者である、というだけで、だ。
先に言っておくと、私は同性愛者ではない。だから、彼らの苦悩を全てわかるわけではないし、無意識にその当事者達を傷つけてしまったこともあるかも知れない。
完全に理解しているのか、と責め立てられてしまうと困るのだけど、ゲイの友人も、レズビアンの友人も、トランスジェンダーの先輩も、バイの友人もいる。
彼らはそれぞれのそういった思考を私にカミングアウトしてくれたけれど、私にとって彼らに求めているのは円満な友人関係であったり、同性や異性であってもなんら変わりのない、相手が相手を尊重できる関係性のみだった。
理解、というと少し違ってしまうのだろうけれど、私にとってそれは相手の「情報」でしかない。
血液型が何型か、誕生日はいつか、というのと同じように、ただその人の情報のひとつでしかない。
…何度もいうがそうは言いつつ、もしかしたら目に見えないどこかで、誰かを傷つけている可能性はあるのだけれど。

とにかく、彼らはひとと違うことで責められ、居場所をなくし、ひとりは大多数と同じ選択をしようとする。
また、すでに自ら望んで普通であることを選んだが故に、でも大好きな居場所に居続ける為にはどうしたらいいかを模索する。
彼らには私が普段生きていくよりもずっと沢山の障害や壁があり、それに対して全力で傷ついて、傷ついたからこそ仲間を絶対に諦めない。
「大多数」がそれは異常だといっても、手を引いてくれる人がいる。
「自分」を大切にしようとしてくれる人がいる。
それは別に性的なマイノリティに限らず、「人と違う自分を愛してくれる人」が、例えこの世にひとりだって居てくれるのなら、それは大多数に匹敵するくらい強くて、そんなあなたを、私を、抱きしめたくなる。
そんな風に思えるラストシーンで、私はしあわせな涙を流してしまった。

ビッケブランカさんの主題歌、「Changes」の歌詞も、とてもいい。
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大切なものはどうやって愛したらいい
知っていたあの頃へ還れますように

もっともっといいやつに
いつかはなれますように
もっとかわいいやつに
いつかきっとなれますように
変われますように

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マイノリティでも、マジョリティでもなく、ただただ「いいやつ」で、「かわいいやつ」になろうとする、
そこには例えば誰が好きだとか、性自認だとか、それが許せるかだとか、普通かだとか、そんなものは関係ない。
人が人として、誰かにとって、それは自分の仲間であっても、敵であっても、なるべくいい人であろうとするフラットささえあればいいと思える。
私だって大多数に安心を覚えて、恐らく大多数側の人間だと思う。
でも、できればそうではない人達にも、そうである人達にとっても、いいやつでかわいいやつでいたい。
どちらの人といたとしても、同じものを見て笑い合えていたらいいし、好きなものを好きだと言いたい。
それが100%理解されなかったとしても、だ。

私たちは基本的にたったひとりだ。
家族がいて、友人がいて、恋人がいても、結局は自分のことなんて自分にしか理解できない。
自分にとって愛すべきものが、誰かからしたら気持ちの悪いことかもしれない。
それでも、もしこの世界にたったひとりでも、それをよしとして、一緒に笑ってくれる人がいるなら、
その人を、仲間をどうかどうか大切にしたい。そんな仲間に出会って、私は私の好きなものを、好きなものを好きだと言える自分を、愛してあげたい。
そう心から思える映画でした。

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