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はじめまして!記録ではなく記憶を残します

記録と記憶の違いってなんでしょう。

Google先生に聞いてみると、
【記録】後々まで伝える必要のある事柄を書きしるすこと。その書きしるしたもの。
【記憶】ものごとを忘れずに覚えていること。また覚えておくこと。 過去の経験の内容を保持し、後でそれを思い出すこと。

だそうです。あまりピンと来ませんが私はなんとなく記憶の方が価値あるものだと思っています。

記録は誰かに伝えることが簡単だけど、記憶はその人の頭の中で覚えていることだから誰かに伝えることは難しい。けれど、記憶こそが残しておくべき大事な物だと思います。

しかも記憶は自分であっても徐々に忘れていくものです。記憶のキャパって決まっているのかもしれませんね。幼少期は記憶力が良く、色んなことを覚えていました。しかし、最近では一昨年行った旅行のハプニングを一緒に行った友達と話していて、全く覚えていませんでした。最近、心配になるくらい記憶力が無いんです(笑)

私の記憶を何かの形として残していたら良いのではと思い、去年の夏に記憶専用Twitterアカウントを作りました。
私には推しがいて、彼らのライブに行ったあとは思いつく限りの記憶をツイートしまくっています。これは誰かに共有するものではないので、私が私の記憶を忘れないために残しています。
2時間半全てを記憶することは難しいですが、ピンポイントで覚えておいて帰り道にツイートしながらノロノロ歩くのが最近のライブ後ルーティンです。
たった1行が残っているだけであの時の記憶が鮮明に思い出されます。不思議ですよね、あの曲のこの歌詞でのあのポーズでこっちを見てくれたこと。キラキラしてるんです。脳内の彼が。

そんな気軽な記憶とは別にもう1つ、私が残したい記憶があります。

戦争の記憶を今の若者に引き継ぎたい。
戦争経験者が年々減少していて、いつかはいなくなります。それは人間だから当たり前のこと。
しかし、およそ80年前に日本で起こっていた戦争の悲惨さをリアルに記憶として知りたいのです。

「○○年に○○戦争がありました。」、「○○年に○○条約が締結されました。」というのは日本史でいくらでも学べます。
では○○戦争が起こった時、○○条約が締結された時、民間人はどんな思いでどんな生活を迫られていたのか、その時の記憶を受け継ぎたい。そう思います。

これを思ったのには、きっかけがあります。私の祖父です。
父方の祖父母と私は遠く離れて暮らしているので、会えるのが年に1回程でした。しかし、コロナが流行するとなかなか会いに行けず、去年3年半ぶりに帰省しました。
すると、祖父が認知症になっていたのです。
父親が高校生の頃の話をしていると祖母が「懐かしい」と微笑んでいる横でキョトンとしている祖父。「そうだったけかなあ、覚えとらんなあ。」と呟く祖父。最初は私も笑っていたけれど、あまりにそれが多くで段々としんどくなってしまいました。
3年半ぶりだったのも大きかったでしょう。
徐々に記憶が無くなっていく姿を見ていたら、受け入れられていたかもしれませんが、3年半という月日の間にぽっかりと穴が空いてしまって記憶が抜け落ちていったのです。

私の祖父は戦争体験者です。
記憶が消え去ることの恐ろしさを知ったことで、私たちが彼らの記憶を引き継ぐことが必要なのだと思いました。

まだ漠然と思っているだけで行動に移せていないのですが、今年の夏頃から色々な方面から調査を行っていく予定です。その過程を気軽にnoteに載せられたら、と突然思いつきました。これも私の記憶の一部です。


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