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「分かり合えない」に喜びがあるかどうか

今日ふと思ったことを、短編で書きます。

おやすみの前、朝の電車のなか、帰り道などのスキマ時間のお供にどうぞ。

Twitterは、分かり合えないことが分かる

Twitterのタイムラインをスクロールすると、不毛な議論やクソリプ会話を目にすることがあり、「あぁ、これは一生終わらない / 理解しあえない同士だな。」と思いながら、会話の様子を覗く。

分かり合おうとしているのかは分からないが、喧嘩口調の様子を見ているだけでお腹いっぱいになる。見なきゃいいのに、会話の結末が気になってその行く末をたどってしまう。

「分かり合えなさ」を目の当たりにすると、嬉しい気持ちにはなれない。

友だちと「分かり合えない」を実感したとき

一方で、友だちとの「分かり合えなさ」に喜びを感じる時がある。

その友だちとは月に1,2回ほど会って、近況報告や考えていることを共有し合うのだが、価値観や意見の相違で毎回なにかしらの「分かり合えないこと」が露呈する。

ー「私と異なる考えを持っている。もっと知りたい。」
ー「同じことを体験したのに、こうも違った価値観を持つのか。」

この「分かり合えない」感覚がとても嬉しい。Twitterと友だちで感じる違いはなんだろう。

「分かり合えない」会話のなかで、新しい価値観・考えに気づかせてもらえるからだろうか。

長い付き合いなのに、「分からない」ことを新たに発見できたからだろうか。

「分かり合えない」ことがあっても一緒にいられる関係性がおもしろいからだろうか。

「今日も私たちは分かり合えなかったね。」と言い、「またね。」と笑顔で別れられるからだろうか。

「分かり合えない」ことに喜び・嬉しさを感じられる関係性っていいなとふと思った日でした。

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