#7 病み期ってみんなあるよねって話(自己紹介Blog.家庭環境編)
はじめに。今日は少しだけ過激かもしれません。気分が悪くなった方がいたら、すみません。
では、さっそく本題に。
昨日は、まず現在の私について、軽く紹介させてもらいました。今日は、私の大元である、家庭環境についてお話しようと思います。
私の家族は、祖父、祖母、父、母、私の5人家族です。両親が共働きで、私はひとりっ子という事もあり、ありがたいことに今まで金銭面で苦労することは無かったかと思います。
ただ、家族の仲が良いかと言われると、いまだに「はい。」とは言えません。一生言えないかもしれません。
その原因は。世の中にある、ありきたりな言葉で言うならば、それは嫁姑問題です。7年前に他界した祖父も祖父で、現代でいうDV夫(昔だと亭主関白になるのかな)という感じでしたが、私の母はそれ以上に悪質な感じでした。
祖母と揉め始めると、大体カッとなりマシンガンのように罵声をあびせてきたり、2階から中身の入ったペットボトルを投げつけてきたり。また、情緒不安定なのか急にわんわん泣きだして夜中に徘徊したり、包丁を持ってきてお腹に刺そうとしたこともありました。父が精神科に行くことを勧めましたが、結局行くことはなかったです。だいぶクレイジーでした。
私は物心ついた頃から、祖母が大好きで、大のおばあちゃん子です。なので、何か起こる度に祖母を傷つける母が憎くてたまりませんでした。確かに、祖母の話し方には少しトゲがありますが、決して怒っているわけではない。それが理解できずに、数々のすれ違いと口論を積み重ねるうちに、修復見込みのない溝が出来上がっています。その溝は祖母と母の間だけでなく、私と母の間にも深く深く出来上がっています。
私がここまで祖母の肩を持つのは、祖母が育ての母だからです。料理、洗濯、掃除、買い出し、、全ての家事は祖母がしていました。高校3年間+浪人1年間は、毎朝5:30に起きて、1日も欠かさずお弁当を作ってくれました。私と60歳も離れた人が、自分の体に鞭打って、私をここまで大きく育ててくれたのです。感謝しかありません。祖母以上に“愛”を体現している人は、私はまだ見たことがありません。
半年前から、がん治療薬の副作用により衰弱した祖母は施設に入りました。私も実家から逃げるかのように一人暮らしを始めました。なので、現在、あの頃の揉め事は物理的になくなりました。(目に見えない溝が修復することはありませんが。)
私の家族は決して仲が良いとは言えません。ですが、私は祖父、祖母、父、一人ひとりの事は大好きです。
…ざっと家庭環境はこんな感じです。気分が悪くなった方がいたら、ごめんなさい。
おそらく多くの方が他人にはなかなか言えない、言っても全然伝わらない家庭事情を抱えているのではないでしょうか。私の家庭もそのうちの1つ。でも、幼い頃から順風満帆な環境ではなかったからこそ、培った力があるのは強みだと思っています。
そして、この私の家庭環境は別に病み期ではないんです(全然病み期の話に辿りつけなくてすみません)。もはや日常だったので。
そんな揉め事ばかりの家庭を、少しでも好きになりたくて、小学生の頃から自分自身に言い続けてきた言葉があります。その言葉で、今日のnoteは締めようと思います。
このお家はあったかいご飯が食べられる。それだけで幸せじゃないか。
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