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さて、今夜も御話を申し上げます

コロナ禍以降、家にいる時間も増えて、毎晩ベッドタイム・ストーリーを語るようになった。

「とと(私)の、ちっちゃい時の話きかせて。」

という娘のオーダーから始まった物語りは、娘とおなじ年の3歳の頃の記憶をたぐるところから始まり、徐々に4歳、5歳、6歳と、幼稚園に通っていた当時の思い出語り。小学校に入学する描写から、進級を続け、現在、5年生まで口演中。

おはなしをはじめた当初に、ちょうど講談師・神田伯山師の連続モノをYoutubeで連日視聴していた影響が色濃く、どこか語り部のような口調とトーンで

「、、さて、、今夜も、徐々に、御話を申し上げて行きたいと思います-」

と口火を切る。
その後、いったん寝たフリをして、娘に「ちょっと!!おはなし!」と起こされる、というお決まりのボケをはさんでスタートしていく。

まずは我が家のその日1日の出来事をおさらい。話し始め、子供の(ときには妻も)寝息が聞こえ出しても、そのまま続け、一段落したところで

「今日の御話はこれでお仕舞いです。明日は○○があります(明日の予定を伝達)。今日も、ととは、○○(娘)と、かか(妻)のことが大好きです。それでは皆さん、おやすみなさい。」

と終演。

口演当初は、こんなにもコロナ禍が長引くとは、こんなにも毎晩子どもと布団に入る日々が続くだなんて想像していなかったので、だいぶ大味な語りをしていたのに、もう毎晩の申し上げるおはなしが3ヶ月以上になるので、だんだんとネタ切れもしてきて、1つのエピソードをたっぷり15分に引き伸ばして話したり、フィクションが混じったり、物語りのテクニックも我ながら上達してきた。

わが人生の一代記だ。
人生譚を語っていくと、忘れていた記憶の細部を思い出したり、子どものころの自分がいかに両親を愛していたか、当時の感情が呼び戻されて涙がこみ上げたり。すべてを語りきった時に、伝承したことに満足して死んでしまうんじゃないか、と思ったり。

娘に傾聴してもらえるおかげで、当時の思いがようやく成仏できるような感覚もあり、聴いてくれる人がいる、というのは、まことに、ありがたいものなのだなぁと実感。

何より、楽しみに聴いてくれる、というのは、嬉しい。

彼女は楽しみに聴いているので、なおのことよく覚えていて、「こないだ話してたあの話さ、」などと話題にされると、あぁ彼女の中に息づいているのだなぁと、面映くなったりもする。幼い彼女の空想の翼を折らないようにしたいなぁと重ね重ね思う。

フとした時に「あ、今夜はこの話を聞かせてやろう。喜ぶだろうな。」と、自分自身が楽しみにしているのもわかる。

きっとまた今夜、あの子は言うだろう。

「とと、今夜もおはなしを申し上げてください~」

たまらなく幸せなひととき。



<了>

text by 中島 光信(僧侶・ファシリテーター)


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