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ケガレってなぁに?

「ねぇねぇ、○○のお父さん、ケガレってなぁに?」

小学校の駐車場に車を停めると、上級生の女の子がおもむろに訊ねてきた。

キタコレ。

突然として人生の側から、今回はたまたま子供という姿を通して「励んでいるか、精進しているか、怠けずに追求しているか?」抜き打ちテストを仕掛けてくるやつ。

子供は真剣。切羽詰った表情。「お坊さんなら知ってるかもしれない」という、すがるような目。「私も聞いとかなきゃ」とその子のお母さんも近寄ってくる。

駐車場から学校の入り口まで、共だって歩いていく、猶予は5分を切ってる。左手は娘とつないでいる。小1になったばかりのわが子に、あまり観念的な話は聞かせたくない。その配慮もしつつ、右に並んだ4年生の女の子2人とそのお母さんに説明をする。

どうする。

信号を待つ間に考える。これでどうだ?

「お皿の汚れはさ、洗ったら落ちるじゃん?けど、洗っても落ちない、心の汚れみたいなものかなぁ」

腑に落ちない様子。うおどうする。

そもそも何で訊きたいんだろう?どうやら、学校で先生に習ったらしい。「インドのガンジス河に入ると、ケガレが取れる」という文脈で、先生はうまくケガレを説明できなかったのだそうだ。

うおそういう文脈か。説明の方向転換だ。

「あー、僕もガンジス河入ったことあるよ。けど今ケガレてないかと言われたら、そうとはいえないなぁ」

これじゃダメだ、論点と関心どころがズレるので却下。

「、、今日さ、いま車で来るときに、実は『もうすぐ赤になるー』っていう信号、突っ切って来ちゃったんだよ。ダメなのわかってたんだけど、ここで停まったら遅刻になると思って。それだけど、『あぁ、悪いことしちゃったな』という気持ちは、ずっと残ってる。そういうものかなぁ」

女の子2人はディスカッションを始める。
「悪いことしたら、タイホされて反省すればいい」
「えー、私はそうは思わないなぁ」

そうこうしているうちに学校の入り口に到着。女の子たちと、そして左隣でずっと黙って聴いていた娘は、昇降口に吸い込まれていった。

大丈夫だったかな。大人として、坊さんとして、ちゃんとやれたかな。

学問的な定義だとか小難しいこととか、そういうんじゃなかった。実感の言葉で語らなければいけないタイミングだった。

こういう時が突如訪れるから、おちおち怠けていられないなと思う。
人生の側からサインを送ってきてくれているんだからねぇ。


<了>


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