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感情を受け入れる

2020年9月19日。 

誰も想像しなかった結末。

夕暮れのピッチは秋の涼しさを感じ、夏の終わりを感じさせた。 

残酷にもたった1試合で目標は達成できなくなった。



この日、僕らの今シーズン、JFL昇格の道は終わった。



僕はベンチにいた。
試合に出れなかった。

「これは現実か。本当に負けたのか。これで今年終わり?嘘だろ?」
こんな感情だった。

帰宅し、1人になってもまだこの結果が現実だということを認識できなかった。

何もやる気が起きなかった。


心にぽっかり穴が空くとはまさにこのことだろう。
ぼーっとしていて感情が無くなっていた。
何をやるにしてもうわの空だった。

次の日もその次の日もぼーっとしていた。

試合から3日後の火曜日。
もう一度、試合のことを振り返ってみた。


この悔しさと同時にある虚しい感情はなんなのか。

負けたことが悔しいと思っていたが、それよりも試合に出れなかったことが1番悔しかった。
勝負のピッチにさえ立てていない自分の実力に情けなさを感じた。
 


明日から練習は始まる。
必死で気持ちを切り替えようとした。
やるしかないと。


ただ複雑な想いでいた。


サッカーが上手くなりたい。もっともっと。
サッカーは好き。だから、やりたい。
サッカー人生は続くから立ち止まっていられない。
練習すべきだ。


でも


今年、JFL昇格はできなくなった。
たった1試合で。
もう終わり。

今年にかけていた分、落ち込む度合いが大きすぎた。


ぽっかりと空いた心の穴はふさがらず、やるしかないと切り替えている気持ちと今年は終わってしまったことでの虚無感が同時にあった。



9/23(水)、練習再開。
カナさんとオグさんの話から始まった。
その時の話を聞いて、自分の感情がスッキリした感覚があった。

カナさん
「まだ結果を受け止められず、モチベーションが上がらないかもしれない。それはしょうがない。それでもその感情を受け入れること。」

大まかに言えばこのような話をしていたと思う。

そして、オグさんの話にはことわざが出てきた。

『人間万事塞翁が馬』


人間万事塞翁が馬とは、
人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。       [故事ことわざ辞典より]


古文から来ている。内容はこんな感じ。

ある日、老父が飼っていた馬が逃げた。
このことのに対し、周りの人々は気の毒がって慰めたが、彼だけが「いや、幸いがやってくる」とポジティブに受け止めた。
すると、数ヶ月後、逃げた馬が優秀な馬を一緒に連れて帰ってきた。
当然、そこで周りの人々は祝福したが、彼は喜ぶどころか「災いを招くに違いない」と答えた。
老父の予想通りになる。
彼の息子がその馬から落馬して大怪我をしたのだった。
しかし、老父は「きっとこれは慶事だ」と穏やかに言った。
その1年後、戦争になった。
若者は戦場に行き、ほとんどが戦死した。
しかし、彼の息子は怪我の影響で戦場に行かず、生き延びることができた。

というお話。


こんなことわざがあるが、簡単には切り替えられないなとおぐさんはおっしゃった。



簡単にこの敗戦が次に活きると言って切り替えられるものではない。
そして、切り替える必要もないと思った。

この敗戦は負けるべくして負けた。
だからこの負けをしっかり受け止めて、何が悪かったのかをきちんと分析する。


今は落ち込んでもいい。

ただ、いつかこの敗戦が活きたと言えるように行動していくべきである。

僕らはサッカー選手。
引退しない限り、次に来る試合に向けて、準備、向上していくべきである。



試合に負けたが、もう1試合あるらしい。

今回、ピッチにさえ立てていない。
来期、ここでプレーしたいならばアピールしなければならない。
このままだったら戦力外かもしれない。

今は今後の自分のためにレベルアップを考えてやるしかない。


昇格が無くなったからこそ、次の試合は出場機会があるかもしれない。

最善の準備をしよう。

サッカーを楽しもうと思う。


2020.9.24



#感情を受け入れる
#人間万事塞翁が馬
#敗戦 #感情

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