ZORNの「いたいのとんでけ」が良すぎて語りきれない
2022年はハルカトミユキの10周年ライブに行けたり、Mr.Childrenの30周年ツアーに2回も行けたり、syrup16gとART-SCHOOLがそれぞれ久々の新譜を出してめちゃくちゃ彼ららしい音楽で嬉しくなったり、昔から好きだったアーティストを改めて好きになれた1年だった。
そのなかで、2022年ははこの曲が1番やばかった!!と大きな声で言いたい曲がZORNの「いたいのとんでけ」だ。
※出だしでなんとなくわかるかもしれませんが、このnoteは年末に公開する予定でした。曲があまりに良すぎて語りきれないため文章がまとまらず、予定より1か月遅れで公開しています。
ZORNのことはすでに一度noteに書いたけど、そのときは韻のテクニックについての話がメインだった。
これまで私が本気で夢中になったアーティストはthe pillowsとハルカトミユキとZORNだけだ。主に歌詞への共感から好きになったthe pillowsとハルカトミユキと違ってZORNの歌詞には基本的にあまり共感していない。(<シャウエッセンがあれば俺は幸せ/シャウエッセン>、<王座の称号より餃子の王将/Don't Look Back >など生活に根ざした歌詞には共感することもある。)
ZORNのことは、とにかくずば抜けた韻のテクニックと、自分の人生をHIPHOPストーリーに仕立てて楽しませるエンターテイメント性に主に惹かれていた。
2022年に発売された「いたいのとんでけ」は初めてZORNに共感した。これまでZORNのことを知らなかった人や、HIPHOPとか全く興味ないわ、という人にも聴いてもらいたいなと思ったから全力で書こうと思う。
まずはとにかく聴いてほしいのでMVを貼る。ZORNの曲は大抵概要欄かコメント欄の一番上に歌詞を載せてくれているので、読みながら聴いてもらえると嬉しい。
(noteを先に読んでからでも聴いても良いですが、はじめて聴いたときと2回目で印象が変わる曲でもあるので、先に聴いてほしい気持ちはあります)
この曲はメッセージ性と両立して普段通りばちばちに韻を踏んでいるのだが、今回は韻のテクニックはほぼスルーして1番から順番に構成を見ていきたい。
独白のように聞こえる一番
最初に聴いたとき、1番はZORNの独白のように聞こえていた。
最初から15音まるまる韻踏んどる!?と言いたくなるのを一旦我慢して(最近のZORNは10文字以上の韻が多発するので触れていたら本当にキリがない)、出だしから辛い雰囲気が伝わってくる。
「いのちの電話」というワードや「明日死のうが今日の希望」という言葉から、死を考えるほどの悩みであることがわかる。
私もいのちの電話が混んでいる短歌を詠んだことがある(本日もいのちの電話はつながらず僕よりつらい人たちがいる)ので共感した。
「いたいのとんでけ」というワードのリフレインを中心としたサビは
で締めくくられる。初めて聴くときはここまでをZORNの独白として聴く人がほとんどだと思う。
しかし、1番の歌詞は2番で少し印象が変わる。
会話調になる2番
ここから会話調になる。そして「そっか ありがとう」という相手の話を受ける言葉から始まることで、1番の話は「お前」の話だったことに気づく。2番はひたすら「お前」に語りかけている。
抜粋しているが、正直2番の歌詞は一言一句最高だった。自分がしんどいときなら言われたい言葉ばかりだったし、大切な誰かが悩んでいたら、こんなふうに寄り添いたいと思った。
私自身が「なんで死んだらダメか なんて言ったらいいか分かんねぇや」といつも思っていて、そのくせ大切な相手にはいつも生きてほしいと思っている。それが自分のわがままと思っていても「また会おう」と言いたいと思ってしまう。
サビは「きょう もうきえたい」だった1番の部分が「あした またあいたい」に変わっている。今日消えたい相手に対して、自分が願っているのは明日という未来で、対比構造になっている。
2つのブロックで構成される3番
3番はよく見ると2つのブロックで構成されている。
ここまでは2番の会話調ではなく、1番に近い通常のリリックに近い書き方に変わっている。(ちなみに誰も無傷じゃ済まないのが人生/吹き荒ぶ嵐を走って の韻は良すぎ…)
後半はまた会話調になる。
「よう あれからどう」ではじまるため、「きょうしにたい」と言っていた「お前」と再会できたことがわかる。
ここでやっと「お前」=ZORNの元DJ であることがわかる。
最初に1番を聴いたとき「針は止まり置いてきぼり」の「針」は「時計の針」で時間が止まって置いていかれることの比喩だと思っていたが、最後まで聴けばDJの「針」だとわかる構造になっている。
ちなみに、この「まあ大したサイズじゃない」と言っているライブは曲の発売当時に予定されていたさいたまスーパーアリーナで行われるライブの話だ。「さいたまスーパーアリーナ」を「まぁ大したサイズじゃない」とあえて言うところが本当にかっこいい。
最後のサビは「これからどういきたい」に変わる。「きょうしにたい」お前へ「またあいたい」私が再会して「どういきたい」というさらに先の未来のことを語りかける。
そして最後は
で終わる。すごすぎる……。
こんなに明確にメッセージ性のある歌で、たった一人のために歌った歌詞の最後が「こんなうた とどきませんように」で終わるのは衝撃的だった。多くの歌は「この歌が届きますように」という気持ちで歌われていると思う。
「こんなうた とどきませんように」という歌詞の解釈は難しいが、「お前」も、この歌を聴いている私たちも、この歌詞が届かない(響かない)ほうが幸せということだと解釈している。
「いたいのとんでけ」という言葉が要らないのは「痛くないとき」だ。
しかし、3番の「誰も無傷じゃ済まないのが人生」という歌詞どおり、今の時代のなかで最初から最後まで無傷で生きて死ぬことなんてできない。
だからこそ、「こんなうた とどきませんように」は、届かない祈りで切実な言葉として浮き上がってくる。
ちなみに、MVの映像をよく見ルト「こんなうた とどきませんように」のあと、音は聴こえないがZORNは明らかに口元で何かを語りかけている。これも粋な演出だ。
全体の構成について
ぜんぶ聴いたあと、「誰も無傷じゃ済まないのが人生」ではじまる3番の前半部分について考える。
このブロックが間に挟まっていることで、2番から3番後半で再開するまでの時間も、ZORNが「お前」や、「お前」を超えて命について考えていたことがわかる。この前半があることで、3番で「お前」が「晴れた顔」になっていることの喜びにつながっているような気がする。
また、1番は「お前」の言葉に思えると書いたが、ここは会話調ではない。単に「お前」の言葉を書くなら会話調の方が向いている気もする。あえて通常のリリックの形式にしているのは、ZORNがお前の言葉に気持ちを寄り添わせて、自分のリリックに落とし込んだからかもしれない。
ただ、「あの夢ならもうない 心も体も抜け殻状態」という歌詞も、最近のZORNを見ていると、ZORN自身のことに思えなくもない。
この数年で、ZORNはAKLO、ANARCHY、MACCHO、AK-69、ILL-BOSSTINO、KREVAという名だたるラッパーとコラボをしながら、武道館、横浜アリーナ、さいたまスーパーアリーナとステージの規模を大きくしていった。
同時に、「手にすることは無くすことだった」と歌っていた「Lost」あたりから、ZORNは夢を実現してしまったことへの葛藤も頻繁に描かれている。
「あの夢ならもうない」は、元DJの視点では「叶えられなかった夢」になるが、ZORNの視点では「叶えてしまった夢」になる。自分の成功の隣で死にたさを抱えている元DJに対して自責のようなものを感じているのかもしれない。
常に次の約束をし続けるZORN
ちなみに、「まあ大したサイズじゃない」と言っていたさいたまスーパーアリーナのライブで、この曲の「お前」がDJをした、という話を聞いた。(私は仕事で観に行けなかった)
思えばここ数年のZORNは、常に「次の約束」をしている。
成人式をやった場所でライブをしたのは、<全員はいなかった成人式 その時あいつら接見禁止/All My Homies>の歌詞からして成人式に出られなかった友達のためでもあるだろう。
ZORNは武道館では地元の友達をステージにあげて、横浜アリーナには母親を呼んで、さいたまスーパーアリーナには元DJをステージに立たせた。次は「東京ドーム」を宣言したらしい。
ZORNは常に次の約束をしながら、実際にそれを叶えHIPHOP界のトップまで登りつめた。
ZORNが有名になった最初のきっかけは「洗濯物干すのもHIPHOP」というパンチラインのあるMy lifeだ。この曲は家族(嫁とふたりの娘)と当時ついていた現場仕事のこと、ラッパーとしての自分を歌った曲だった。
「Letter」では娘2人(連れ子なので血は繋がっていない)に焦点を当て、「かんおけ」は生まれてくる三女と祖母の死を歌い、歌詞に地元の友達の名前を出しまくっている。
地元や家族、友達という非常に狭い世界を歌いながら、アリーナ規模でのライブをガンガン実現していく姿は本当にHIPHOPだなと思う。
いろんな葛藤があるとは思うが、これからもZORNにはどんどん大きな夢を見せてほしいと思ってしまう。
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