何足もわらじを履いて活かしきれ

歌人のなべとびすこです。

*この記事はWEB記事をテーマにしたアドベントカレンダーの投稿です。

肩書きは歌人の私、なべとびすこなのですが、2019年4月30日、短歌のwebマガジン「TANKANESS」をはじめました。
編集長兼ライターという立ち位置です。

編集もライティングもやったことがないのにwebマガジンをはじめてしまったわけです。こわいですね〜。

こういう見切り発車の行動力が私の良いところであり悪いところ。

つまり、編集者としてもライターとしてもまだ約半年です。かけ出し中のかけ出しです。

とはいえ、ライティングはまだ、一応これまでブログとかでも文章を書いてたし、コラムとかエッセイも依頼を受けて書いたことも少しだけあったのですが、編集はまるっきり素人。

素人なのに編集してすんません…
と思いながらびくびく編集を続けていたのですが、このまま永遠にびくびくし続けるくらいなら、
「自分が編集される立場になればいいのでは?」
と思いはじめました。

おもしろライターを応援するメディア 「CRAZY STUDY」さん、
お散歩メディアの「サンポー」さんでも書かせてもらえることになりました。

そうしてはじめて私は「編集」してもらえる立場になったのです。

編集されてみて思ったことは、ひと言でいえば

勉強になる!!!

です。
浅すぎる感想ですみません。

でも、一度でも編集してもらえると、書くときに注意することが変わってきたのです。

特にWebならではの気をつけなければいけないことについて。
リード文の長さ画像を入れるタイミングなど、これまで全て「なんとな〜く」でやってきたことが、理由とともに改善されていくんですね。


さらに、幸運なことにデイリーポータルZの投稿欄「自由ポータルZ」で何度か取り上げていたただきました。

ここに載ると、記事のアクセスが一気に伸びるなど数字的な変化が起こるのはもちろんなのですが、デイリー編集部からコメントをもらえるのが魅力です。

しかし、自由ポータルに載った2回目のコメントで、私は悔しい思いをすることになりました。


味の表現や人にすすめるときの文章が普通のことしか書いてないので、もうちょっとひっかかる表現や笑える比喩を入れるといいかもしれません。

味の表現や人にすすめるときの文章が普通のことしか書いてないので、もうちょっとひっかかる表現や笑える比喩を入れるといいかもしれません。」

これ、ライターとしてじゃなくて、「歌人としても」ちゃんとできておくべきことじゃない?!

せっかく歌人がライターやってるのに、ここで魅力出せてないのやばくない

たしかに私は短歌でも比喩が得意なほうではないけど…!

ライターや編集としてはまだ半年なので「初心者なので…」みたいな言い訳があと半年くらいは効きそうですが、歌人としてはもう5年やってきてますからね。

さらに、別の自由ポータルでもこんなコメントをいただきました。

あとは説明書きの文章に引っ張られているのでもうちょっと音とか匂いとか個人のエモーショナルなところを入れるといいと思います。

「あとは説明書きの文章に引っ張られているのでもうちょっと音とか匂いとか個人のエモーショナルなところを入れるといいと思います。」


これ、ライターとしてじゃなくて、「歌人としても」ちゃんとできておくべきことじゃない?!(再放送)

短歌でももちろん五感を使うことが大事なんです。
せっかく現地に行ってるんだから、視覚で得られる情報以外の五感をしっかり使っていろんなことを書いていくべきですよね。

そこで気付きました。

私は短歌の脳と記事を書く脳を完全に切り分けてしまってるんじゃないかと。

短歌は31文字のなかに自由に思いを込められます(季語も要りませんよ)。

31文字はとても短いので、言いたいことはひとつに絞らなければいけません。
そしてそのひとつの言いたいことを伝えるために、いろんな工夫をしています。「てにをは」にこだわったり、比喩や倒置法などのテクニックを使ったり、ここはあえて字余りにしようかとか、ここは韻を踏んでリズムをよくするか…内容以外にもいろんなところに気をつかって日々短歌を作っているわけで……

そんなことをやってるのに、
記事を書くときにひっかかる表現や比喩もできずに、
視覚情報に頼りきりの記事を書いている…

歌人でライターであるという二足のわらじを活かせよ!!!!!

ということです。

短歌の脳と記事を書く脳を切り分けることはある意味必要です。
短歌と記事、それぞれで特性は異なります。

それでも、短歌の知識や経験が、記事にも活かせる場面はたくさんあるはずなんです。

比喩ももちろんですが、「引っかかる表現」というのは短歌でも重要です。

短歌でも、変わった内容を読むときはあえてストレートに表現することもあります。
逆に、内容が普通なら表現を少し引っかかる言い回しにすることが多いとよく言われます。

変なことを普通に言うと逆に面白いが、普通のことを普通に言ったらただ普通のことを言っている短歌になってしまうので、その加減を日々考えているのです。
(変なことを変な言い方をすると意味がわからなくなりがちです。
※そういう短歌が得意な人もいます)

その考えをちゃんと記事に活かせていれば…

なべとさんは短歌をやっているだけあって、細かいところの表現が面白いですね〜!

と言われていてもおかしくないのです。
私はそれがまだできていません。

私は趣味が多くて、短歌はもちろん、ボードゲームも作ってるし、たまに葉ね文庫という書店でサイファー(ラップで雑談するイベント)もやってます。
そこで得た知識や経験を全て記事に活かせていれば、


なべとさんはボードゲームを作っているだけあって、アイデアを形にするのがうまいですね〜!

とか、

なべとさんはラップをやっているだけあって、文章のリズムや韻にも気を使っていますよね〜!
とか、

言われていてもおかしくない。

おかしくないのです。

理想論かもしれませんが、もし私がちゃんと、短歌やボードゲームやラップの知識や経験を活かして記事を書けていれば、私の記事に他の魅力が生まれたかもしれません。

二足のわらじを履いてるほうが面白いし、何足もわらじを履いていたほうがもっと面白い。

というようなことを、星野源が初のエッセイ『そして、生活は続く』で書いていました。(本をプレゼントしてしまったので今手元になくて正しく引用できずすみません)

星野源が言うとなんて説得力のある言葉なんでしょう。あれほどたくさんのわらじを綺麗に履きこなしている人もなかなかいませんよね。阿修羅像の足バージョンか?

私の周りにも複数の趣味を持っている人が何人かいます。
すると、「こっちで活きることはこっちでも活きるんですよ」という話をされることが多い。
いろいろな趣味は、少しずつ繋がっているのです。

それはわかっていたはずなのに、私は短歌を記事に活かせていないんです。

それはものすごくもったいないですよね。

歌人をやっていてライターもするからには、もっと磨ける部分があるはず。
そして私が「短歌をやってるだけあって面白い」記事を書ければ、ライター業界で「短歌やってたらこういう表現上手くなるんやな…やってみるか、短歌を……」と思う可能性すらあります。

だから私は今後、歌人ならではの、そして私ならではの記事を書いていきたいと思っています。
そして記事を書くことで得た経験が、また短歌に還元されるはずです。

まだ半年しかライターも編集もやっていなくて、決意表明のような内容になってしまいました。
まあ決意表明は大事ですよね。年末ですし。

2020年は歌人としてもライターとしても編集者としても活躍できるよう頑張ります。

*他の方の記事はもっとタメになることが書かれていると思うので、ぜひ読んでみてください。




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