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あたまいたの朝

久しぶりにキツめの頭痛が来た。目の奥がギュッと摘まれてるような感じ。薬は飲んだけど、飲むのが遅かったからかいまいち効いてない。ぼんやりとした辛さから、だんだん鋭角な痛みに変わってく。

食べかけてた朝ご飯をほっぽいて、炬燵に転がった。今朝は朝から同居人が出てて、今この家には自分しか居ない。慰めてくれる人も、処置してくれる人もいない。体調崩した時ってやる事色々あるのに(温めたり冷やしたり、薬飲んだり水飲んだり)、自分でやらなあかんのか…と辟易する。

前から思ってたけど、自分で自分をケアすんのって本当にめんどう。特に元気じゃない時って寝る以外の体力ないのに、ケアまでせなあかんって何。

こういう時同居人がいれば、頭痛に効くツボを押してくれたり、湯たんぽを温めてくれたりする。そして何より、同情してくれる。その共感がかなり心を楽にしてくれる。でも一人では、自分で抱えるしかない。辛さを。

その後結局1時間くらいで同居人が帰ってきてくれて、わたしは安堵して泣いた。頭痛は暫く引かんかったけど、人が居るから安心して眠ることができた。

布団の中で、湯たんぽを抱えながら昔のことを思い返してた。いつもそうなんだけど、体調を崩すと昔しんどかった時のことが思い返される。体感と記憶が結びついてるからやろうか。

昔デート中にお腹が痛くなって、当時の恋人にそれを伝えたら、一言目が「さっき(食事を)残せばよかったのに」だったこととか。
小学生の頃から頭痛はあったけど薬を飲むという発想がなくて、二十歳を超えるまではただ痛みに耐えてた時のこととか。
過食症なのにパン屋さんで働いてて、店長はハードワーカーで、なぜか恋仲にもなってしまってもうドロドロだった時のこととか。

「あー、健康でいたい。心身ともに健康でいたい。」
フラッシュバックで心臓をドキドキさせながら、安心できる未来を願った。

つい数日前は、一人暮らしもありかなと思ってた。というか、定期的にこれは考える。一人暮らしの魅力は大きい。でもやっぱないなと思った。頭痛になっても同居人がいれば、ケアしてもらえるし。私も私で、しんどい時に優しくしてもらうと好きになってしまうし。

自分の生存本能から、この人と住んでた方がいいよって感じる。だから暫くは、一緒にいよう。そしめ頭痛薬は早めに飲もう。そんな4月おわりの出来事でした。

ベッドでゴロゴロしてたら目が合った。

生きる糧にします