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別れについて思うこと(34歳の記録)

4年前、とても印象的な夢を見た。舞台は高校で、17歳に戻った私が、「はじまればおわると思っていた」と友人に伝える夢だ。

客観的に見れば何の起伏も工夫もないストーリーだが、私には夢が何を伝えたいのかがよくわかった。夢は私だけにわかる台詞やシチュエーションで、メッセージを伝えてきた。それも含めて印象に残っている。夢のテーマは「別れ」だった。

10代の別れ

高校時代、私は初めて交際を経験し、人生史上いちばん浮かれていた。と同時に、「この楽しい日々はいつか終わる?」と、怖れも強く感じてた。「付き合う」ことが決まった瞬間から、「いつか別れるんだ」と予想していたのだ。

その予想は「いつか失うなら、あまり好きになってはいけない」という防御モードを生む。いつか失う愛を、いつでも手放せるように、愛に執着しないように。自分の“愛”に、制限をかけた。

そんな気持ちで交際が上手くいくはずもなく、私が予想していたよりもずっと早くにその関係は幕を閉じた。私が計った愛情の節約は、むしろ逆の効果を生んだ。

10年以上経ったが、今でも思い返すと胸がチクッとする。いつか終わる関係ならば尚更、目いっぱい愛情を伝えておかなければいけなかったのに。私のちっちゃい自衛心は、相手を困惑させるだけだった。当時の私は後悔の海で、ひたすら虚しさを感じていた。

20代の出会い

現在のパートナーと出会ったのは、私が26歳の頃。始めは滋賀と長野の遠距離間で付き合っており、月に1〜2度しか会えなかった。でも私にとってそれは、交際の慣らし期間としてちょうど良かった気がする。

はじめての失恋以降、私は恋愛に真剣になれなかった。恋人はできてもどこか練習試合っぽいといういか、懸命ではあるが本気ではない感じ。10代の時のようなピュアさはなく、気怠さを感じてた。

だけど今度の人は、勘が鋭かった。怠けてたらすぐ指摘してきやがる。これは誠実に向き合うしかないと、気合を入れた。ただ、本気になるほど、10代の頃向き合いきれなかった「いつか別れるかも」という怖れが顔を出す。少し大人になって多少余裕はできたものの、怖いものは怖い。だから遠距離での付き合いが、はじめはありがたかった。

そしてパートナーと半年ほど関係を続けた頃に、この夢を見た。
「はじまればおわると思ってた」
この言葉は、私が「関係性を始点があり終点のある数直線のようなもの、有限なもの」として捉えていることを表していた。

だけど果たして、関係とは有限なんだろうか?形もないのに?
10代の時は有限だと信じて、愛情を節約してたけど、それって愛情も限りのあるものということだろうか?

その答えは、夢の中にある。実は、私が初めて交際した相手というのは、今も友人として関係が続いている。我々は恋愛関係としては確かに「おわった」が、それ以外の関係は終わらなかった。夢はそれも踏まえた上で、高校という舞台でこの台詞を放ち、矛盾を指摘したのだ。

「はじまればおわると思ってたんだよね」と。

恋は高速

確かに、恋愛にはいつも明確な「はじまり」がある。両思いだと知った時、私の顔はにやけ、頭の中では鐘の音が鳴り響き、世界は虹色に包まれる…それはとてもドラマチックで、「はじまり」を感じずにはいられない。

だがロマンスも束の間、話が噛み合わなくなり、会う時間も減り、「おわり」を迎える日が来る…悲しいことに。

そう、恋愛とはまるで高速道路。はじまり=インターがあり、二人は急速に仲を深めることができるが、目的地に辿り着けば高速道路を降りなくてはいけない。(しかも出る時にはそれなりのお金を払わらないといけない…)

私たちはそれをよく知った上で、恋愛を楽しまなくてはいけない……と、私は失恋から学んだ。

ただ、パートナーとは明確な「はじまり」が感じられなかった。というのも、はじめて会った時に「昔からの友だちのようだ」と感じ、自然な流れで一緒にいることを選んだからだ。

鐘は鳴らなかったし、世界は虹色でもなかった。ただ、凪のように穏やかな愛情を感じた。それだけで、人生を共にするには十分じゃないかと思えた。

我々にはじまりはなかったから、おわりもない。これからやむを得ず離れることもあるかもしれないが、それと同じくらいの可能性でまた近しくなる道がある。そういう「人生の中で近づいたり離れたり」を楽しんでいればいい。

恋はいつか終わる。でも関係性は続いてる。その事実を、見逃してはいけない。

祖父の死

お茶を濁すようで申し訳ないが、この記事を書くなかで印象的な別れを思い出したので、こちらも余談として残しておく。話したいのは、死についてだ。

父方の祖父は、私が幼少の頃に亡くなった。一緒に過ごした時間は短く、離れて住んでいたので、祖父との思い出は多くない。ただ一つだけ、祖父との大切な思い出がある。
お菓子のいっぱい入った缶を、祖父がいたずら顔で見せてくれた時のことだ。甘い物が好物だった彼はその中から、幾つか好きなものを選ばせてくれた。私は彼から宝物をもらったような気がして、とてもドキドキした。

その祖父が亡くなったのは、突然のことだった。いや、大人たちは「心の準備」をしていたのだろう。だけど幼い私は人の死に立ち会ったことがなく、「老い」についてもよく理解していなかった。

だから祖父のお葬式に連れられた時、突然「お別れ」させられたような、酷いことをされたような気持ちだった。人って、突然いなくなってしまうものなのだと思った。それが私の中にできた、はじめての「別れ」の概念だった。

それ以降私は、相手が大切であるほど「この人はいつか死ぬのかもしれない」と想像した。想像しておかないと、万が一の時にそれこそ死んでしまうほどのダメージを受けかねないからだ。だけど想像するだけで辛い。怖いと思った。

恋愛がはじまりとおわりのある高速道路だとしたら、死とは道が急に無くなることだと思う。道が続けば、いつかどこかでまた合流するかもしれない。だけど無くなってしまえば、少なくともこの物理世界で会うことはない。

だから、私はまだ別れを怖れている。死と別れが科学的に同一のわけではないが、そのように感じているので、怖い。
本当の意味では克服をしていない。臆病な人間だと思う。

生きる糧にします