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悪夢

繰り返し見る夢がある。
トイレを探すのだけど変なトイレしか見つからなくて、その度に「こんなところじゃできない」と彷徨う夢だ。
変なトイレとは、異様に汚かったり、個室の壁がなかったり、男女共用だったり、男性職員が掃除していて床がビシャビシャだったりする。

この種の夢は10代の頃から見ていて、昔はよく「こんな汚いところじゃできない」と思っていたが、最近は「こんなところじゃ恥ずかしくてできない」と思うことが多くなった。(昔は汚さが目立ち、最近は男女共用の個室壁なしトイレが増えた。)

色んな解釈ができるけど、いま自分の中でしっくり来てる解釈は「この社会で表現できる場所がない」という課題を、トイレ(排泄)という形で表しているのではないか?というのもの。

たとえばアウトサイダー・アートに対して、「彼らの制作は排泄のようなものだ」と語られているのを聞いたことがある。それは決して「汚いもの」としての比喩ではなく、「日常的に出さずにはいられないもの」の象徴として語られていた。

私も「思考や感情を出さずにはいられない」人間なので、排泄という例えには思わず頷いた。それを私の無意識は知ってるから、トイレ探しというシーンを通して「表現できる場所を探す私」を描いたのではないだろうか。

概念の話なので読者に納得してもらうのは難しいが、少なくとも現実で私は表現の難しさを感じている。そしてストレスが溜まると、なぜか私は潔癖になる。
表現できない不満を「汚れたトイレ」「異性が立ち入るトイレ」に対する不快感で夢が描いてるんだとしたら、簡潔でうまい喩えだ。

じゃあその解釈で行くとして、現実の私は何をしたらいいんだろう?何を変えれば、夢見は良くなるんだろう?毎回趣向を凝らしてディテールの違う同じストーリーを見せてくる夢に、私(エゴ)も応えたい気持ちはある。考えてみよう。


アイデア①
自作のお菓子を人に食べてもらう。お菓子作りは好きだが、自信が全くと言っていいほどない。どこかでこれも自己表現の一種だと捉えてる自分がいる。逆に言えば、お菓子を人に食べてもらうことで、「自己表現を受け入れてもらえた」という成功体験になるかもしれない。

夕陽を浴びるほうじ茶チョコ蒸しパン

アイデア②
唄う。
唄はわかりやすい自己表現のひとつだろう。でも音痴という自覚があって、カラオケの経験も少ない。そもそも音楽に対してコンプレックスがある。でもだからこそ、チャレンジできたら飛躍的に成長する気もする。

ただやるにしても、何から手をつけたらいいのかすらわからないレベルだ。わかることは、楽器に触れるとかよりは、唄いたいなーと思ってること。もっと言うなら、ラップや相撲甚句みたいなことがしたい。どうすればいいんでしょう?どなたか助言下さると嬉しいです。

アイデア③
地道に今やってることを続ける。
個展を開いたり、身近な人に対して素直でいることを心掛けたり、地味だけど(個展は地味じゃないが)大切なことを続ける。これが一番王道というか、間違ってはないだろう。


煮詰まってきましたね…。

皆さんは繰り返し見る夢って、ありますか?私は今日話したもの以外にも幾つかあります。それは決して楽しいものじゃないけど、繰り返し出てくるモチーフは何のメタファーなのか…考えてみると少し自己理解ができるし、悪夢も意味あるものに思えるので、できるだけ分析しています。よかったら、みんなもやってみてね。

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