見出し画像

「タナベ」を卒業するにあたって思う事

「夫婦別姓ってどう思う?貴方は苗字変わるのは嫌?」


これは時事ネタではなく先日、旦那が何気なく聞いた一言だった。

その場では「私医者とか弁護士じゃないし、別にいいかな」という程度だったけど、改めて考えるとタナベ時代は色々ありすぎた。最近昔の私についてまだ知ることがあったのでまた書き留める。


この世に私の事を分かってくれる人はいない



と思うくらい20代前半まではひねくれていた。

「かわいそう」

と言われる・思われることが嫌いすぎて適当に親の事はごまかしていた。必要以上に踏み込んでくる人や「あ、無理だなわかってくれなさそう」と感じると心のドアを閉めてヘラヘラしたキャラクターを演じ当たり障りなく関わる。人との関わり方はこれが私の普通だった。

つい最近、児童養護施設に措置される前に私の心配をしていた学童の先生か施設に届いていた手紙をもらったので旦那と二人で読んだ。 どんな泣ける文章が書いているかとハラハラしていたが、子ども時代の私が変わり者過ぎて笑ってしまった。

以下が抜粋なのでよかったら読んで見てほしい


「~ノリカ(私の名前)は1年生の夏にうちの学童に入所してきました。母子家庭で当初は祖父母が相次いで亡くなる等の不幸がつづき、母親の精神的ストレスと不安定さがノリカにも影響していたのでしょう。ほかの友達と一緒に行動するのが困難な時期がありました。 声をかけても聞こえないふり、自分のペースを乱されることをひどく嫌がり、注意されると泣きながら学童を飛び出して行って、よく近所を探し回りました。そんなことも繰り返しつつも接し方や気持ちに寄り添って関係を作ってきました。

また引きこもりだった母親とも少しずつコミュニケーションをとった所、以前は学童にいっさい顔を出したことのなかった母親がお迎えに来たくださったり、相談事があると学童に来て直接話して下さたりと心を寄せてくれるようになりました。それまで友達もノリカの事を「わがままだから」と敬遠していましたが、気持ちが落ち着きとともに、少しずつ仲の良い友達もできました。そんな矢先に母親の死とノリカとのお別れ…とてもショックでした。なにより学童の子どもたちが別れを惜しんで暗くなっている様子をみて、こんなにみんなに愛されていたんだな…と嬉しく思う気持ちもありました。

施設でもご迷惑をおかけするかもしれませんがどうかよろしくお願いします。特に虫と食べ物のこだわりは半端ではないかもしれません……」



いや、虫と食べ物のこだわりって癖強すぎじゃない…??


今となっては笑い話。。。この一連の流れをと笑い飛ばしてくれる旦那がいます。 お世話になった学童の先生にはこれを投稿する際に連絡しようと思います。

正直今までは私の生い立ちと持っている特性を理解してくれるのか、そんな私と一緒に過ごしたいなんて思ってくれる人がいるのか、、、 ここが不安でした。そんな人と付き合いたい・結婚したい人なんていないと思っていたので障がい特性に関してはプロポーズまでカミングアウトできていませんでした。それを旦那は

「そんな事で悩んでいたの!!気にしないよ!!」

って笑い飛ばしてくれます。もちろん辛かったことはそんな事があったのね、よく頑張ったねと聞いてくれました。旦那は良くも悪くも自分が想像できない所は過干渉をしない性格なので、安心して話すことができるようになったなぁと感じます。

何回もこんな人生嫌だ、、辞めたいと思いましたが、母と同じ終わり方はしないと心に決めて、今本当に生きていてよかった!

信頼できるパートナーに出会えて本当に良かったです。これからも当事者活動は『タナベ』でやろうと思います。

当時の気持ちを忘れないように



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?