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期待値の話

久しぶりのブログ更新になってしまいました。
やはり、ルーティーンに組み込んで、定期的に書き続けることはとても大事だなと思いました。

前回のブログは11日前のこちら。

その後、GWを挟んで、なんだかんだ色々と書きたいことはあったのですが、これ書こう!と思ったときに書かないと忘れてしまうし、熱量も下がってしまう。
そういうもんだよな、と感じているところです。

ネパールやマラウイのメンバーとのコミュニケーション

私は、Colorbathでは主にバックオフィス業務をしているのですが、しばしばネパールやマラウイのメンバーともやり取りをする機会があります。

バックオフィスの中には、ネパールのパートナー企業への送金や、請求書、領収書のやり取り、マラウイにある現地NGO Colorbathの会計管理なども含まれていて、それらはすべてオンラインでやり取りしています。

また、Colorbathでは長期の出張でメンバーが現地に滞在することはあれど、基本的には、年中現地に滞在する駐在員がいないので、各プロジェクトの進捗確認やトラブル対応も、基本、電話やメッセージでやり取りします。

例えば、

「明日までに、これについて状況を確認して教えてね。」
「このスプレッドシートに、情報を記入してね。」
「週明けまでに領収書のデータを送ってね。」

みたいなやり取りをたくさんします。

現地のパートナーやメンバーは、みなとても優しくていい人ばかりなので、そのときには、

" Alright, Kenta san! I'll do that!"
" Sure! "

と、とても明るく、前向きに返してくれるのですが、日本人のように、期日通りに、かつ漏れなく、お願いしたやり方で対応してくれることはあまり多くありません。

これは別に彼らに悪気があるわけではなくて、現地ではより優先度の高いことがあったり、単純に、彼らの文化に、情報をメンバーに周知する、という概念がそもそもなかったりするためです。

最初、Colorbathに入って働き始めたときは、こちらにも期限があるのに、なかなか協力してくれない、情報が集まってこない、みたいな状態にストレスを感じていました。

「そのときは、快く引き受けると返事をしてくれたのに、結局やってくれなかった。つまり、結局は自分のお願いなんて、大して重要視されていなかったんだ。それなら、もうこちらも一生懸命にやらなくていいかな。」

そんなふうに、勝手に期待をして、それを裏切られたと思って、自分は信頼されていない、重要だと思われていない、と自己評価をしていました。

こうなってしまうと、彼らとやりとりをするのも億劫になってしまいますし、彼らの状況、困りごとを聞こうともせず、自分のために情報を集める、形だけ期日に間に合わす、みたいなコミュニケーションになってしまいます。

ただ、最初にも言ったとおり、彼らには全く悪気があるわけではないし、むしろ、普段カジュアルに話しているときは、何年も一緒にいた友人かのように、自分の事を気にかけてくれたり、親切にしたりしてくれます。

やり取りを重ねていく中で、結局は自分の期待値をどうコントロールするか、の問題だということに気づきました。

「期待値をコントロールする=期待しない、諦める」なのか

この「期待値のコントロール」という文脈はもう少し丁寧に説明したいなと思っています。

期待して、結局ダメだったから、期待しなくなる。その人を信じなくなる。

「期待値をコントロールする」という言い方だと、どこかこんな文脈が乗っかてくる気がします。
一般的に、それは「割り切り」や「諦め」で、これらの言葉には、どこかネガティブなイメージがつきまとっている気がします。
割り切ったり、諦めたりする、というのは冷徹な行為、みたいなことも聞いたことがあるようにも思います。

でも、彼らとコミュニケーションをする際の話でいうと、期待値をコントロールしたからと言って、

「明日までにやってね」

と言うのをやめるわけではありません。
むしろ、何度も言います。できるまで。笑

ただ、そこに「もしかしたら、やってくれるかも。。」という理想は抱かず、やってくれるまで、ポジティブにリマインドします。

それは、彼らが信頼できるメンバーだと信じているからであり、とはいえ、現場での動きがあったり、文化的な価値観が違っていたりと、そう簡単にできることでもない、ということを理解をしようと思っているからです。

「期待値をコントロールする」は、あくまでも自分側の話で、相手に左右されるものではありません。
つまり、期待値をコントロールしながら、彼らを信頼して前向きにコミュニケーションを取り続ける、は両立できることなのだと、これまで2年くらいやり取りをしてきたものが積み重なって、最近、ようやく体感できるようになってきました。

期待をしたいと思える相手

最後に、もう一つ別の視点を紹介して終わろうと思います。
先日、いまお付き合いをしているパートナーから、

「期待されるくらいの相手になったということだよ」

と言われました。

これまで、遠距離で休日にだけ会う、という感じだったのですが、この4月からは、少しずつ、平日に一緒にいる時間も増やしていきながら、よりお互いのことを理解していこう、という話をしています。

先週、仕事が思った時間に終わらず、「今日はおれがご飯用意するね」といったのにできず、結局用意してもらった、ということがありました。



「私は結構、期待をしてしまうタイプなのかもしれない。勝手に期待して、そうならなかったときに寂しく思い、期待しなくなる。みたいな感じなのかも。」

と。

自分の期待値コントロールの話である、という感じのことも、おそらくわかった上で、そこに付け加えてくれたのが、上の一言でした。

「期待されるくらいの相手になったということだよ」

二人で時間をともにして、信頼関係を築いて、そうしてきたことで、相手に期待をしたい、と思うようになった。
これがすごく嬉しいことだったので、「期待値のコントロール」という、一方向からの捉え方だけで終わらせてしまうのは惜しいなと思いました。

期待値をコントロールできないのが悪いわけでもないし、期待値をコントロールするのが冷たいわけでもない。

AかBか、ではなくて、その背景にはきっと、もっと豊かな人間の気持ちのゆらぎや思いやりがあって、そのことをただそのまま受け取る。

そんなことに気づかせてくれた、一連の期待値エピソードでした。

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